山田和樹ゲーム

大澤壽人がオーケストラ・ニッポニカで「蘇演」されたのが2003年2月で、関西のコンサートへ大澤壽人の本格的な第一派が来襲したのは2006年3月ですから3年の時差があった計算になります(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20120913/p1)。

山田和樹がブザンソンで優勝して「時の人」になったのが2009年で、2012年9月に大阪フィルの定期に登場したのですから、いわゆる「グローバル」な世間の騒ぎがわたくしたちのところへ届くのに3年かかる、というのは、現状の興行界では標準的な時差なのかもしれません。

どうやら、この連休の間に、複数の評論家さんがどう批評するのか知恵を絞る巡り合わせになったようです。

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既に東京で散々誉められていて、でも、どれを読んでも、どこかで読んだことのあるような語彙による論評なので、なんだかよくわからない気がしていたのでございます。

一般論として、

「類い希なる才能の指揮者が彗星の如く現れて音楽シーンを塗り替える」

というのは、20世紀の語法だと思うんですよね。そしてそういうのは、たぶんカルロス・クライバーで終止符を打つ。

カルロスクライバー(下) ある天才指揮者の伝記

カルロスクライバー(下) ある天才指揮者の伝記

で、クライバーも吉田秀和も、まるで自分の意志で人生に決着を付けたかのような終わり方に見えてしまうのですけれど、真相はどうなんですか? 誰か教えて! 違うなら違うで、そのほうが安心だからいいんですけれど。

そのあとに出てきた人たちは、「指揮者って本当にスーパーマンじゃなきゃいけないの、2位じゃだめなんでしょうか?」みたいに開き直ったり、何やかやと、周りがどういう風に言おうが、当人の在り方として、ああ、やっぱりもう20世紀じゃないんだな、ということを、言葉では上手く言えないにしても納得させる人たちであるように思っています。

それは、「指揮者が小粒になった」というような語法で不平不満の対象であるにしても、そんなこと言ったって、状況が変わってるから、しょうがないわけですよね。

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で、よくわからないのですが、20世紀の指揮者観にどっぷり浸かって、昨今の「小粒な指揮者たち」に不平不満タラタラである方々が、山田和樹は違う、という語法でお褒めになるので、なんだか、不気味な感じがしていたわけです。

結局、そのような言葉の堆積からわかるのは、「山田和樹は20世紀的価値観に照らして誉めやすいタイプの人であるらしい」ということですが、そういうほめ方をされて、当人が嬉しいものなのかどうか、謎なんですよね。

要するに、イマドキのアイドルを「山口百恵の再来」と形容して意味があるのかどうか、みたいなことになるわけですから……。

(古典藝能だったら、「まるで先代の舞台を見るようだ」というのは、最大級の身に余る讃辞として、喜ばねばならないとされているようですが……。)

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こういうルールにしたらどうでしょう?

  • (a) 既視感のある語彙・語法・視点でしか論評できないようなら、批評の負け、山田は現状維持で楽々と商売できて左うちわの万々歳
  • (b) ナルホドという語彙・語法・視点を打ち出すことができたら批評の勝ち、山田は批評に易々と読み切られてしまうような現状を猛省して、今後一層精進すべし
  • (c) どんなに知恵を絞っても、あんな演奏では新しい語彙・語法・視点など見つからない、そんなの無理、となったら山田の指揮者生命はそこで終わる、ゲームセット

このゲームは、別に、いわゆる「プロの批評家」じゃなくても、ブログでもtwitterでも参加できて、万人に開かれておりますから、某橋下市長に「既得権にあぐらをかくインテリの暇つぶし」とボロカスに言われる気遣いもないですし、悪くないんじゃないでしょうか?

たぶん、往年の吉田秀和が「グレン・グールドってどうよ」、「カラヤンについて何か書け」みたいにお題をもらったときに七転八倒して、あの、のたくりまくる文章を書いたのも、誰に強いられたわけでもないのに、そういう暗黙のルールがあるゲームをやっているつもりだったからだと思うんですよね。

おそらく、批評というのはそういうもので、「市民」の「公共圏」というのは、そういうゲームの場のことであったのだろうと思います。

「とりあえず誉める」という、一見、情報感度が鋭いかのように見えて、実は単に流れに身を任せているだけであるという点においては誰もがけなしていいことに暗黙のうちになっている対象(ハシモトとか?)をひたすら罵倒するのと裏表の関係で同値な文章、そういうのばっかり読むのは、少なくとも私には、退屈すぎるから、いいかげん止めて欲しいと思ってしまうんですよね。

山田和樹、というのは、現状、格好のお題なんだから、もっと面白く遊びましょうよ。あれは、腫れ物に触るようにチヤホヤしなくたって、簡単にツブれるタマじゃない。そんなヤワな指揮者が大フィルであんな演奏できるわけないんだから、安心して万人の批評のターゲットにしちゃいましょう。指揮者になるってのは、言論(公論)の標的に立候補するようなものなんですから。

(ちなみに私は、もう批評原稿を出してしまいましたし、現状では、なるほど桁違いに優秀ではあっても、あの演奏だけでそこまで個性的・画期的な仕事とは言えないと思ってますが……。「そこを本気でつっこんだら凄いことになりそうだけど、この人、本気でそれをやるつもりがあるのだろうか」みたいに「可能性」を感じる細部はいくつかありましたけど。←と留保をつけて保険をかける物言いは、訳知り顔なオトナの悪知恵(笑)。)

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……というわけで、こんな風に、演奏自体については何も言わないままに山田和樹を論評することだってできてしまうくらいに、彼は面白い素材だと思います。