ラーメンと華人と愛国(神戸華僑華人研究会編『神戸と華僑 この150年の歩み』)

神戸と華僑―この150年の歩み (のじぎく文庫)

神戸と華僑―この150年の歩み (のじぎく文庫)

念のため申しますが、私は国境問題へ首をつっこむ意志はまったくなくて(これは本当)、全然別の方面の関心から、関西の知識人・文化人の国際性ということを考えようとすると華僑・華人の方々のご活躍について、一定の知識をもっておくべきではないかと考えて、この本を読んでみました。

すると、この本には「大阪の華僑」、「京都の華僑」という章もあり、前者には次のような記述が……。

[戦後]もっとも成功した台湾出身者は「日清食品」を創業した呉百福[ごひゃくふく、のルビ](安藤百福[あんどうももふく、のルビ])である。(『神戸と華僑 この150年の歩み』2004年、185頁、陳正雄執筆)

記述は簡潔なものではありますが、速水健朗さんの『ラーメンと愛国』とは随分印象が違うのでした。

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)

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引用を続けます。

[呉百福(安藤百福)は]戦前メリヤスを台湾に輸出していたので、戦後、「中華公司」を泉大津に設立して貿易再開を図るが、理事長を務めていた大阪華僑出資による信用組合「大阪華銀」倒産後、心機一転、郷里の「鶏糸麺[チースーメン]」にヒントを得てインスタントラーメンの製造に成功し、今日の事業に育て上げた。(同上)

『ラーメンと愛国』で対応する記述を探してみますと、

まず第一に、この本で日清食品の創業者は一貫して安藤百福と表記され、中国名は一度も出てきません。

本の冒頭で、

つぎはぎだらけの服を着た人々が、[……]みな一様に飢え、十一月の冷たい風が吹きつける中、屋台の支那そばを食べるために並んでいるのだ。(『ラーメンと愛国』16頁)

というように、「[のちの]日清食品の創業者・安藤百福[ももふく、のルビ]が見た大阪の闇市の光景」が描写されます。

この光景がのちのインスタントラーメン開発のきっかけとなる原風景であり、「当時、百福自身は、まだ支那そばというものを口にした経験はなかった」(同上)のだそうです。

次に百福氏が登場するのは49頁ですが、ここでまず紹介されるのは、アメリカ農務省の小麦食キャンペーンに対する彼の批判です。

「日本人の食生活とパンは、所謂、水と油じゃないですか。どこか無理があるのですよ。僕にはそう思えますね。」(50頁)

おそらく、何の予備知識もなくここまで読み進めた人は、インスタントラーメンを開発した人物の国籍をまったく意識にのぼらせないのではないかと思います。

彼の経歴は、このすぐあとに紹介されますが、ここにも、彼の国籍を読者が意識するきっかけになりそうな言葉は見えません。

百福は多くの事業に手を出しては失敗を繰り返していた。食用蛙を使った新食材の研究、身よりのない若者を集めた塩づくり、人に頼まれて金融業にも乗り出していた。どれも彼独特の突飛なアイデアと行動力をもって為された事業だが、ことごとく失敗する憂き目に遭う。(50-51頁)

戦前から故郷台湾へのメリヤス輸出を手がけていた人が華僑出資による信用組合を作ることを、「彼独特の突飛なアイデアと行動力」と形容するのが適切なのかどうか、ともかく、このように書いてあります。

そしてようやく話者は彼の出身地を告げるのですが、それはこういう書き方です。

百福は、日本統治時代の台湾の出身であった。彼が事業を展開したのは日本だったが、敗戦後、彼は日本か中華民国かどちらかの国籍を選択する権利を有し、中華民国の国籍を取得している。日本人に適用された財産税の適用外となることで、新しい事業の資金を得ることができたとも言われている。(51-52頁)

『神戸と華僑』によると、百福氏の事業は台湾との貿易であったり、泉州の「中華公司」であったり、華僑出資の金融業であったりしたようで、とりわけ、大日本帝国時代の植民地台湾との貿易については、『ラーメンと愛国』の話者がその事業の実際を知ったうえで「彼が事業を展開したのは日本だったが」と書いているのだとしたら、かなり微妙なニュアンスや国家観を背負い込んでしまうと思うのですが、ともあれ、そのように書かれています。

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念のため確認しておきますと、『ラーメンと愛国』の話者は、決して「嘘」は書いていません。

この本の記述を何の予備知識もなく読むと、安藤百福氏は、内地から植民地台湾へ入植した日本国籍を所有する一家の子供として台湾に生まれ、内地へ戻り、事業を展開するうちに敗戦を迎えて、大阪の闇市ではじめて支那そばを知り、それを「日本のナショナルフード」へと育てたかのようにも読めますが、そのように明確に書いているわけではありません。

彼の本名や祖先・親族は一切言及されませんし、敗戦直後にはまだ「支那そば」を食べたことがなかったと書いてあるだけで、彼が台湾の鶏糸麺を知っていたり、食べたことがあったのかどうか、ということにも言及されていません。

ラーメンという食材のナショナル・アイデンティティの混血性については、それこそがこの書物のテーマですから、実に詳細・雄弁ですが、この食材を日本に普及させた人のナショナル・アイデンティティを読者に意識させない、というのが、『ラーメンと愛国』のスタンスであったようです。

なぜ、『ラーメンと愛国』という本がこのような書き方で仕上げられたのか、というのは、かなり込みいった話になりそうな気がします。私はすぐに詮索しようとは思わないし、そこへ分け入る用意も今はないですし、百福氏のナショナル・アイデンティティをどう考えるのが適切なのか、ということについても、すぐに何かを言えそうにはないですが……、

でも、少なくとも2つの本を合わせ読むと、現時点では、一方的に「愛国/国民食」へフォーカスするよりも、(a) 日本人の側からは日本の国民食に見えて、(b) 華僑・華人の側からは、戦後日本で最も成功した台湾出身者の事業に見える、というラーメンのアイデンティティの二重性のほうが興味深く思われます。

(これは、琉球外交論から「中国化」へ進出した人の出現の効果でもあるのでしょうか……。)

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

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『ラーメンと愛国』の刊行は2010年11月。

『神戸と華僑』という本は2004年には出ていますから、わたくしがこの本を2012年10月にようやく手にしたのは偶然ではありますが、このご時世にこうした事実を知りますと、『ラーメンと愛国』が、わずか2年前の本なのに牧歌的な「昨日の世界」に思えてしまいました。

ほぼ同じ頃出版されて、しばしば並べて言及された輪島先生の演歌本の賞味期限は大丈夫なのか。

(速水さんの本で、ラーメンのアイデンティティの混血性が、チキンラーメン以後については詳細なのに、創業者や、そもそも、支那そばというものについて、「起源」「来歴」はぼかされています。長崎や横浜の「中国人居留地の屋台そば」として入ってきたと言いますが、明治の外国人居留地における中国人の立場は、欧米人と同じではありえなかったはず。彼らが「屋台」を生業としたのは、だから、おそらく簡単にスルーできない事情があったはずです。輪島さんの本が、「演歌」のレコード歌謡としての混血性については雄弁だけれども、その起源、明治の演歌師に関心が薄いのも、たぶん、2010年に賞味期限付きで辛うじて「売り物」になり得た同じ思考パターンだと思うんですよね。戦後に焦点が当たり、アジアの影が薄く、アメリカの強大な影響力が強調されているのも2つの本に共通する特徴ですね(與那覇潤氏の一大キャンペーンがあるまで戦後文化論の人はみんなそうだったし、他人事ではないですが)。)

尖閣はラーメンを再定義し、竹島は演歌を再定義する?

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)

[補足]

ちなみに、『ラーメンと愛国』の著者、速水さんご自身は、少なくともこの本のもとになったアイデアをブログに書かれたときには、百福氏を「台湾人」と書いています。

えーさて、安藤は小麦を使ってなぜ日本のうどんではなく、中国由来のラーメンの普及を夢見たのか? それは簡単。安藤が元々台湾人だったからだ。「アジア由来の小麦食の普及」それが安藤の夢だった。

【A面】犬にかぶらせろ!: ラーメンとナポリタンはいかにして日本の国民食になったか

『ラーメンと愛国』の紹介文でも、たとえば中森明夫氏は、それを自明と思ったのか、ネタバレ気味に書いちゃっていますが、

ラーメンは日本人の国民食とも言われるが、思えばそれは中華そばだし、原材料の小麦はアメリカ産だ。さらにラーメンの語を広げた即席麺の発明者は台湾人だった。ここに日米中台4か国のラーメンを巡る“想像力のTPP問題”が浮上する!?
「本まわりの世界」中森明夫 週刊朝日 2011年11月18日号

【A面】犬にかぶらせろ!:

私は、できあがった新書が、そのことを読者にはっきりとは意識にのぼらせない話法で書かれていることが、おそらく意図的だろうし、気になったのでした。