日本(語)のオペラと「不気味の谷」

大阪市長が新しい公営多目的ホールを中之島に作ると息巻いているそうですが、クラシック音楽に関しては、今までずっとそういうことは民間まかせだった大阪府や大阪市が京都や兵庫のように安定して興行を回す枠組みを作れるとは思えないので、ほとんど興味ないです。

(具体名は挙げませんが、梅田周辺には、民間ですけれども、場所はあるのにクラシック音楽を定期的に回すことには成功していないそれなりのキャパのホールが既に複数ありますし……。)

「これは凄い、応援しよう」と思わせるには、たぶん、ザ・シンフォニーホール(カラヤン・サーカス並みの第一級を目指した)やいずみホール(ウィーンのムジークフェラインそっくり)のように、「本場と同じクオリティ」を売り物にしないと無理でしょう。

唯一今から後発で他を圧倒する可能性があるとしたら、たいていのことは既にどこかがやっているので、「大阪バイロイト構想」、バイロイト祝祭劇場そっくりの箱を作って、韓国あたりのパワフルな歌手の協力を仰いで、国内オケの精鋭メンバーを集めて、アジアにおけるワーグナーの拠点にするとか、それくらいぶっ飛んだことをやらなきゃダメなんじゃないだろうか。

(この劇場ではワーグナーと、あとは、音楽の大東亜共栄圏を目指してアジア人の作品しか上演しない、オープニングの祝祭オペラを西村朗に委嘱する、とか。)

これなら全国から人が来る(かも)。強引なやり方で搾り上げて確保した巨額の資金を投入する大阪維新の文化的シンボルには、ワーグナーがふさわしいと思います!

……と、そんなホラ話より、先週(17日)は茨木で「赤い陣羽織」、23日は東京で「こうもり」を観たので、日本/日本語のオペラと「不気味の谷」の話を書きます。

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「不気味の谷」は人形・フィギュア方面で言われていることらしいです。

器用な日本人のことですし、オタク方面は日本の有力コンテンツですから、人形・フィギュアを「リアル」に作る技術はものすごい勢いで進んでいるのだけれども、人形・フィギュアをあまりに「リアル」に作りすぎると、シャレにならない、一戦を超えてはいけないというココロのブレーキが働くのでしょうか……、かえって「不気味」に感じるものなのだそうです。

人形・フィギュアの「リアル」度は、ある地点まではリアルであればあるほど称讃を浴びるのだけれど、どこかに、「不気味」へ転じてテンションが落ちるポイントがある。それを「不気味の谷」と呼ぶらしいです。

模像は本物に近づこう、近づこうとするものだけれど、本当に「こちらがわ」へ踏み込んでこられるのは恐い、という心理なのかもしれませんね。

そして「不気味の谷」を超えるのは、どうやら「そっくり同じ」を目指すのとは質的に違うことであるらしい。おそらく、同一ではないけれども同格であるような他者として承認する/されることで、模像は「谷」を超えるのだと思います。

(文楽の人形が人を惹きつけるのはそういうことじゃないかと思います。)

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日本/日本語のオペラにも、似たところがあるのではないかと思う。

オペラは白人がイタリア語やドイツ語やフランス語や英語でやるのが「本物」で、日本人はそれをまねっこしているわけですね。

そしてかつては歌い方から何から、「本物」に近づこうと皆さん努力していたわけですが、

最近では、むしろあちらさんの方が白人以外でオペラをやりたいヤツがいるなら、やってもいい、という感じになっているようです。心の底では「同格」と思ってはいないかもしれないけれども、とりあえず、いつの間にか承認されちゃったので、まあいいか、ということで、少なくとも歌手・演奏家レヴェルでは、曖昧ながら、「不気味の谷」を超えた、というか、「谷」などないかのように人々は振る舞っているようです。

オペラをやりたい東洋人、というものに、時間はかかったけれども、白人がどうにか慣れてくれたのでしょう。

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で、こうなると、オペラにおける日本語の問題も、ちょっと意味合いが変わる可能性が出て来たのではないかという気がするのです。

ちょっとややこしい話になります。

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オペラを日本人が演じるようになったのは器楽より遅くて、黒船とともに洋楽が日本へ本格的にやってきてから半世紀が過ぎた明治の終わりですから、ほぼ100年前ということになります。

で、東京音楽学校での最初の試みだった「オルフェウス」(グルック)からかなり長い間、訳詞の日本語をオリジナルの旋律にのせて歌うのが主流だったわけですが、日本語で歌うのはやむを得ない代替案で、どっちにしても、音楽(メロディー)が主で、言葉はストーリーさえわかればいい添え物と思われていた節があります。(外国人歌手が来たときには、その人だけが原語で歌ったりしたようですし、レチタティーヴォ部分を日本語の台詞と入れ替えて物語をつないで、「歌」は原語でやったりもしたらしい。)

80年代に導入された字幕システムがあっという間に広まって、外国語ものは原語上演字幕付き、日本語で歌うときですら字幕付き、という状態になったのも、「実はオペラの“言葉”は念仏のようなもので、誰もまともに聴いちゃいない、筋がわかればそれでいい」というオペラ・ファンのぶっちゃけた本音が露呈した結果だと思います。

(映画館の洋画体験で、耳から入る外国語の語りと目で追いかける字幕を脳内で組み合わせると、あたかも、ガイジンが日本語でしゃべっているかのように錯覚することができるものだとわかっていたのも、劇場の字幕の普及を強く後押ししたのでしょうから、実際には、言葉をまったく聞いていないわけではないはずですが……、

(洋画を字幕で観れてしまったり、漫画を読むうちに登場人物の「声」が聞こえるような気がしてしまったりというメディアミックスな言語体験は本当に興味深い)

でもやっぱり、「発話をダイレクトに理解する」という行為をオペラ体験に期待するのが少数派なのは否定できないと思います。)

しかしながら、

観客の側は現状でそれなりに満足しているかもしれないけれども、

既にもはや単なる「ガイジンのマネ」ではない形でオペラを生きてしてしまっている歌手・演奏家は、おそらく、それでは欲求不満が募るのではないかと思うのです。

だって、ガイジン相手に原語で歌えば観客との言葉の回路がダイレクトにつながるのに、日本人相手のときは、字幕を介して間接的にしかつながらない、ということになっちゃってるわけじゃないですか。

これは何なんだ、と。

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先週の「赤い陣羽織」と、今度の「こうもり」と、それぞれ規模とか歌手のラインナップとか、色々違いはあるのですが、日本語が明瞭で生き生きしていたのが、何よりも素晴らしいことであると、私は思いました。

そしてそれは、往年の山田耕筰理論とかのように、「日本語の正しい発声」なるものを仮構して実践する、というやり方ではなく、そうかといって、「正しいオペラの発声」なるものを無視した「悪い声」(黎明期の関西歌劇団の発声は日本語としてはわかりやすかったのだけれども、しばしば、そのように批判された)というわけでもなくて、なおかつ、芝居とリンクしていたから、言葉が生きている、と感じることができたのだと思います。

おそらく今のオペラ歌手の皆さんは、日本人だから日本語で歌って当たり前、というのではなくて、たぶん原語上演の経験からオペラでは言葉が大切だということがわかっていて、その感覚で日本語を見直すことができつつある人達なのではないか。そういう一周回って、とても難しい挑戦として、日本語のオペラに取り組んでいるのではないか、と思います。そのひとつの成果という感じがしました。

で、そういうことができる条件のようなものがそれぞれの公演に整っていた(ように見えました)。

「赤い陣羽織」の場合は、出演者の多くが往年の関西歌劇団の先生方のお弟子さんで、先生たちの舞台を学生時代から観た上で、良いところは受け継ぎたいというスタンスの人達ですし、そういう彼らのパーソナリティが生きるように、演出の岩田達宗さんがサポートし、けしかけてくれたのだと思います。

「こうもり」のほうは、(どれくらいそういう気風が残っているのか知りませんが)やっぱり二期会の創設以来の十八番の演目ですし、演出の白井晃さんの気取らない小劇場風の演技術が「言葉」のニュアンスを徹底的に拾っていくように作られていましたし(他の方の意見などから類推すると、そのあたりは23日の組のほうが上手にやっていたのかもしれない)、大植英次が、かなりねばっこく、言葉を客席へ届けるような音楽作りを彼なりに相当細かく工夫していたように見えました。

(1970年代終わりに日本を離れてしまった大植さんが、「字幕の登場」以後の日本のオペラ事情をおそらくあまりよく知らないのが幸いしたのではないか、という気もします。彼は、日本語を歌っているのに言葉が聞き取れなくてもいい、という前提のオペラ上演が許されてしまっていた時代を知らないはずで、だから、当たり前のように、日本語を大事に扱ったのでしょう。)

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そうして、

ここが肝心だと思ったのですが、そのように言葉が強く伝わってくる舞台というのは、異形のものになるんですよね。言葉がわかっちゃうので、瞬間瞬間をBGM的に聞き流せないですから。

で、どうやらこういう舞台は、ヒトによっては「不気味」に感じるものであるらしい。言葉を素通りするのがオペラだ、クラシック音楽の「普遍の美」だ、と思っている人にとっては、違和感があって、「これはオペラの正道ではない」と言いたくなってしまったりするらしい。

ここでの「不気味」が、「不気味の谷」の意味と同じかどうかはわかりませんが、日本語オペラが乗り越えるべき、もうひとつの「谷」がある、ということは言えそうなのです。

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実は、昭和30年代に日本で「創作オペラ」がひとしきり盛り上がったときにも、似たようなことが起きているんですよね。

一般の芝居好きは創作オペラをそれなりに面白がったらしいのだけれども、「本場のオペラ」を「知っている」と自認する人にかぎって、「これは邪道だ」「あれが足りない、これが足りない」とひたすらダメだししていたことが、当時の雑誌などからわかります。

そして、そんな風にあれこれ言われながらも、「日本(語)でオペラをやるってのはこういうことなんだ」ということで今に生き延びたのが、関西での「赤い陣羽織」であり、「二期会のこうもり」なのですから、わたしたちは、ここでもう一回、これでいいんじゃないの、と念押しするべきなのかなあ、と思ったりしてしまいます。

「本場」なるものと「同じ」ではないけれど、「同格」になる可能性は十分にある日本(語)のオペラって、この感触なんじゃないのかなあ、と私は思うのです。