世界に誇りたいニッポンの「競技読書」と、ナショナル・アイデンティティ(国民の自意識)を取り扱う本はレンガのように分厚い、の法則: Jann Pasler, Composing the citizen: music as public utility in Third Republic France, 2009

西洋の音楽と社会(9) 世紀末とナショナリズム  後期ロマン派 II (西洋の音楽と社会―後期ロマン派2)

西洋の音楽と社会(9) 世紀末とナショナリズム 後期ロマン派 II (西洋の音楽と社会―後期ロマン派2)

吉田寛で「音楽の国ドイツ」に目覚めて、第2巻、第3巻の刊行が待ちきれないとおっしゃる全国○○人の「音楽とナショナル・アイデンティティ」ファンの皆様におかれましては、次に攻略すべき大著の候補として、こちらがお薦めではないかと存じます。

Composing the Citizen: Music As Public Utility in Third Republic France

Composing the Citizen: Music As Public Utility in Third Republic France

ニューグローヴ音楽辞典の編者として知られるStanley Sadieの音楽史 Man and Musicシリーズ(邦訳『西洋の音楽と社会』音楽之友社)で第三共和制フランスを担当した Jann Pasler が、以来出すぞ出すぞといって、2009年にようやく出た堂々の本文700頁。重たいです、持ち歩けません。^^;;

「音楽の国」シリーズと併用して、ドイツとフランスを対比する「複眼」は、独りよがりにならない「学問の健康」に役立ちそうですし、小熊英二の一連の本みたいに分厚いので、一週間徹夜してビデオゲームを攻略するのに似た「競技としての読書」体験を約束してくれそうです。

      • -

思えば、今はもう「老兵」宣言をしてしまった吉田寛先生の「現役時代」が、レンガのような本を破竹の勢いで読破していく「競技読書の達人」(いわば「読書における極真空手免許皆伝」?)だったのは間違いなく、彼の本は、あとを追ってくるであろう次世代へ向けた、彼自身の「戦績」の記録なのだと思います。

「ナショナル・アイデンティティ」語りは、そのような「競技読書」の道場として最適であり、その戦績を記録した書物もまた、レンガのように分厚くなる。中学高校時代にビデオゲームの中世騎士物語(遠くの世界のファンタジー)を戦い抜いた競技者にとって、リアルな歴史の住人である「近代の国民たち」の「自分語り」の「レンガ本」を読破し、さらには、そこで参照されている過去の大著の数々へと武者修行の旅を続けることが、避けて通ることのできないオトナへの階段、通過儀礼なのかもしれませんね(笑)。

見事ミッションをクリアすると、「学位」が授与され、うまくいけば大学のセンセイの道が約束されているし、そうならなかったときはどうすればいいかということも、立命へ行けば、綺羅星のごとき豊富な人脈があるので、きっとどうにかなります(知らんけど)。

(「競技読書」のレンガ割りを続けさせてくれるのであれば、ウヨでもサヨでも、親米だろうが反米だろうが、グローバリズムであろうが地域貢献や子育て・家族サービスであろうが、分析哲学でも自然科学でも社会科学でも音楽でもゲームでもスポーツでも何でもいい。こうして異種格闘技の実戦経験を積んだ武闘家が、どこかのコワモテな機関の用心棒になるのは実にありがちなケースと申せましょう。

20世紀末の「大学院改革」は、かつて大日本帝国の「帝国」大学が制度的に養成した猛烈な読書家の伝統を、戦後ニッポンの半世紀を超える平和の末に不死鳥のように蘇らせたわけですな。

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20120816#maruyama

丸山眞男は、思想家・教養人というより、なによりも、帝国大学が生んだ「最強の競技読書家」だった、というのが私の解釈です。

京都の「地の利」を活かしつつも、「京都出身者を一人は入れるべきだ」といった「田舎者の論理」は無視すべきだ、という主旨でした。今後ともよろしく。

吉田寛 Hiroshi YOSHIDA on Twitter: "京都の「地の利」を活かしつつも、「京都出身者を一人は入れるべきだ」といった「田舎者の論理」は無視すべきだ、という主旨でした。今後ともよろしく。QT @columbus20: 読書会の応援、とても心強かったです!特に「京都に無理に適応してはいけない」という話には勇気付けられました。"

宇野常寛(立命卒とは知らなかった)の発言をこのように要約してピックアップしておくのも、京都へ乗り込んで「地元民」にサル山のボスみたいにマウンティングする宇野氏(キミは東京で「日本人を一人は入れるべきだ」という「田舎者の論理」とは遠く離れた活動をしている、たまたま日本に住んでいるにすぎない在日日本人なわけだな(笑))にのっかる政治的発言ではなく、地元優先枠などにこだわっていては勝てないぞ、という「競技読書」の強化特任コーチを自負する冷静な(ちょっとマッドな)職業倫理にもとづく技術論と解釈すればわかりやすいでしょう。

そして「競技読書」の武闘家である著者にとって、レンガ本は「割る」ためにあり、その「内容」は割れてしまえばどうでもよくなる副次的なことかもしれませんが、「音楽の国ドイツ」本の中身についての私の感想はこちらをどうぞ。→ http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20130223/p1

      • -

吉田寛先生には、「競技読書」の模範試技として、この本じゃなくてもいいので、何か、これ、という大著を鮮やかに書評する「レンガ割り」を披露して欲しいっス。『音楽学』に投稿する、とか、どうでしょう?

小谷野敦のカスタマーレビュー2002‐2012

小谷野敦のカスタマーレビュー2002‐2012

同じように破竹の読書の人であっても、武闘系でない場合は、文学・物語へ行く、ということになるでしょうか。
日本人のための世界史入門 (新潮新書)

日本人のための世界史入門 (新潮新書)

時代区分であろうが何だろうが「史観」を全部疑って、歴史は偶然そうなった事実の集積に過ぎないと言い続ける著者が、歴史に依拠する物語の数々だけは断固として擁護する小谷野敦らしい世界史講釈。「日本人のための」という以上に、「文学・物語のための世界史入門」だと思いました。