オペラへの道程? 西村朗「清姫 - 水の鱗」(びわ湖ホール声楽アンサンブル)

最近ラジオが気になって仕方がなくて、そちらへ引きつけすぎた感想になるかもしれませんが、西村朗の室内オペラ「清姫 - 水の鱗」を聴いてきました。初演は2011年で、指揮はそのときと同じ田中信昭、作曲者もご臨席。

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安珍と清姫の道成寺伝説を佐々木幹郎が翻案、というか、梵鐘にからみつく蛇女のお話を、山と川、石と水、炎、などの要素にいったん分解して、同地に伝わる流し雛の風習と組み合わせて、きれいにまとめなおしたストーリー。クライマックスで「南無観世音菩薩……」と唱える西村朗らしい仏教的な場面も用意されていて、地獄変のやや抽象的なモノオペラより、はるかにとっつきやすくて、これは確かにドラマだ、と思いました。

合唱が変幻自在に色々や役目をするのも面白いし、もし武智鉄二が生きていたら「これは是非、合唱を地謡にして、能形式でやりましょう」とか、言い出したんじゃないか、と思いながら見ておりました。関西好み、と思う。

清姫役は、やりたい、挑戦したい、と思う人がいそうなパートですが、安珍は、テノールだけれど、普通にやったら無理そうな低い音がわざと書いてあったり、テクニックより声の強さが要りそうなので、どういう人が合うんでしょうか。

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で、台本が対話のない詩劇風に作られていることもあって、ピアノと合唱と独唱を組み合わせる構成・展開とかを含めて「聴くドラマ」、放送劇っぽい作りだな、と思いました。今回は、さすが、びわ湖ホールのスタッフ力!と思わせられる映像が背後の大きなスクリーンに出ていましたし(フォル・ジュルネのときの「子どもと魔法」もそうでしたが、最近のびわ湖ホールは、ちょっとした公演でも仕上がりに劇場としての「制作力」を感じさせる、そこがいわゆる「音楽ホール」とは違う感じ)、客席を使う歌手の出入り・移動もありましたけれど、でも、作品としては、「動く/見る」要素が一切なくても成立するようになっているんじゃないでしょうか。

(だから、事前のスピーチで「アリアのあとは、オペラですから思いっきり拍手してください」と盛りあげていたけれど、ドラマのスタイルが、盛りあげて歌い終えて、誘い込まれるように満場万雷の拍手!!というものではなかったように思います。ラジオ風の「聴くドラマ」として作ると「場面」の概念なしに物語が流れていく傾向が強くなって、構造的に、止めて拍手する隙間がなくなる。)

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戦後の前衛・実験音楽は、「武満も伊福部も映画で育った」というのが今や定番になりつつある話題ですが、平行して、1950年代60年代はまだラジオが元気で、NHKの電子音楽スタジオだけでなく、ラジオ・ドラマもあるし、放送オペラもありますし、ラジオの様々な音楽番組の委嘱作品のなかにもドラマ仕立てのものがある。そして戦後日本の舞台用音楽劇(オペラを含め)には、そういう環境で育まれた「聴くドラマ」の系譜があるような気がします。

一方、1970年の万博では、いくつものパビリオンで音楽を伴う映像コンテンツがあったようですが、そういうものについての記述を見ていると、二次元スクリーンに周到に編集された「作品」を投影する映画的な映像表現を越えたい、越えた部分の延長上に未来があるはずだ、みたいな指向があって、強いて言えば、当時普及しつつあったテレビ的なものの先に、今だったらビデオ・アートとしてやるんだろうと思うようなアイデアが試みられた、ということだったのかもしれない。(万博直後から日本のテレビは怒濤の繁栄の時代に入りますし。)

当時既に半世紀以上の歴史があった「映画的なもの」と切り結ぶ形で音楽表現を鍛えようとする系譜は確かにあるのだけれど、同時に、まだどこへ向かおうとしているのか先の見えない「ラジオ/テレビ」的な座標軸のどこかに自分の音楽表現を位置づけるような動きもあったんじゃないか、という気がするのです。

(そして日本のオペラが長らく「オペラらしくない」と言われてきたのは、作曲家たちが、映画や放送だったら、実際に仕事もしているからわかっているし、当人たちはその経験をもとにドラマや映像と音楽の関係について決してシロウトじゃないと思ってやっていたのだろうけれど、実は舞台・劇場のことがあんましよくわかっていなかった、ということではないだろうか。(「映画の人」武満徹が、晩年に焚きつけられてオレにもオペラくらい書けるはずだ、と思ってしまったことも、周囲には、劇場のシロウトの蛮勇と見えた面があるんじゃないかと思う。当初、タケミツ・オペラ・プロジェクトの周囲にいたのは、ダニエル・シュミットのような映画人だったりするようだし……。)同じ舞台作品でも、戦後隆盛を極めたバレエや創作日本舞踊だったら、色々面白い作品があるのだけれど、歌をメインに据えた舞台劇になると、どうも勝手が違う、という感じだったのではないでしょうか。あるいは当人たちは何らかの意欲があったかもしれないけれど、本格的な音楽劇を創ろうにも、音楽劇を面白く構成できる専門の台本作家が、ミュージカルとかのほうにしかいなくて、映画や放送の台本作家はいるけど、音楽劇のリブレット書きは、職業としても、ジャンルとしての蓄積もないんですよね……。)

その現状が今も根本的には変わっていない、もしくは、そうした状況を前提として引き受けたうえで新作を書く、というような考えがあって、それで西村朗の「清姫」は、台本を本格的にオペラ風にするのではない詩劇のスタイルで書いてもらって、そこに「聴くドラマ」(CD化したりラジオで放送しても十分いけそうな)のスタイルで作曲したのではないか。

そんな風に思いました。

(そういう「戦後日本」のど真ん中を生きてきた重鎮である田中信昭先生の委嘱による作品ですし。)

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もし、一幕物でもいいんで本格的なオペラを書いてくれ、できれば喜劇を、と委嘱したら、西村朗はオファーを受けるのだろうか? 「清姫」は、しかるべきジャンル・スタイルで書ききったに違いない感じがあって(最後はかなり迫力がある)、これはこれでいいんだろうとは思うのですが。……楽譜、出版してください!

戦後のオペラ―1945~2013

戦後のオペラ―1945~2013

西村先生、戦後のオペラといっても、観て普通に意味のわかるのが結構色々ありますよ。こういうの、どうですか? 一気にスパートかけて、細川や猿谷を引き離しちゃいましょうよ(笑)。