漠然とした印象ですが、土地に縛られない職能のネットワークのハブのような場所を「自治」で維持すること(都市とか教会ってそんな観じですよね、音楽家のような技芸保持者の横のつながり・堅い結束にもそれに近いものを感じる)と、共同体からはじきだされた者を相互扶助で救済するアジール(避難所)が、実態として重なることが多いにしても、批判する側、護る側、両方で混同されたりしていないかしら。
学生運動花盛りの頃に、「大学の自治」が競争社会からの避難所のようなニュアンスを帯びるようになって、中世史ブームで言われる「つながり」論が、そのあたりの混同に拍車を駆けた、ということだったりするようなしないような……。
「らららクラシック」がスイス独立の英雄ウィリアム・テル特集だったりしたのを見ながら、ふと、自治を考えたのでした。
(演奏は大植英次・東フィルだし、ロッシーニ協会を代表して水谷彰良さんがご登場だし(始めてこういう人なのだとわかった)、質問コーナーに広瀬大介さんが登場して、見どころが色々あった。結構この番組のファンなのです。昭和から続くテレビのクラシック番組を正しく継承してるのはたぶんこっちで、坂本龍一のあれは、「既成概念をぶっこわす」棘を感じる。加羽沢美濃様は、そういうところがない。両方あっていいとは思いますけど。)
都会に出て孤独で苦しい人の心の拠り所としては、創価学会もあるよ!
- 作者: 玉野和志
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/10/17
- メディア: 新書
- 購入: 4人 クリック: 190回
- この商品を含むブログ (50件) を見る
戦後派手にゼネストとかをやった労働組合は実は大手企業中心の、いわば「エリート労働者」で、そういう風に(社会党が)組織できなかった中小企業従業員層に(共産党とともに)浸透したのが創価学会だった、という説明に、なるほどなあ、と思った。戦後日本の都市は、そういう風になっていたのか、と。
労音というのはどのあたりのポジションなのか、とか、本願寺派で仏教讃歌を歌い継いでいる方々はどうなのか、とか、色々参考になりそうなお話。
九州などで絶大な存在(安定した就職口)である自衛隊とともに、1970年代以後、正面切って語られてこなかった部分ですよね。