戦艦大和の最期

広瀬正浩さん(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20131027/p3)がラジオドラマ論の冒頭に投入するのがこれ(1965年8月15日文化放送)。

戦艦大和の最期 上巻・下巻

戦艦大和の最期 上巻・下巻

  • アーティスト: 芦田伸介,鈴木瑞穂,梅野泰靖,中谷一郎,下元勉,山田昭一
  • 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
  • 発売日: 2006/03/17
  • メディア: CD
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ああ、びっくりした。言いたいことがありすぎます。

今、上巻最後の「海ゆかば」まで聴いたところ(演奏:日フィル)。

最初に出てくる「音」は空襲警報で、これが、押し殺したような低音と絞り出すような高音の「デュオ」だったりする音響の玉井和雄。望遠鏡で陸の桜が見えたあと、およそ1分間のためにどれだけ多彩なスコアを書いたのか、なるほどこの人は凄いな、と思わざるを得ない山本直純。

アメリカ帰りの日系の海兵さんの話のところで、California を「キャリフォルニア」と発音させる、とか(脚本:川崎洋)、それぞれのスタッフさんのこだわりがありそうです。

昭和40年、わたしが生まれる数ヶ月前ですが、大栗裕が「日本のあゆみ」を作曲したのと同じ年ですね。この時点で敗戦から20年。現時点からバブル崩壊・東西冷戦終結の1990年前後までの隔たりとほぼ同じくらいだと思うと、20年は、地続きの「今」を「歴史」としてフォーマットに収めるのにちょうどいい頃合いなのかなあ、と改めて思います。

この放送がLP化されたのが5年後の1970年で、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」がさらに4年後の1974年。アニメ「ヤマト」の製作者は、これ聴いたのだろうか。聴いていなかったとしても、原作『戦艦大和の最期』は絶対読んでいるでしょうから、これと同質の「戦艦大和」観が下敷きになってる、ということですよね、たぶん。(ずっとナレーションが続いて、最初に「台詞」を語る人は、シニカルなのに志がある科学者・真田さんっぽい。)放送劇の音楽・音響・編集スタッフさんのノウハウ・技術・スタイルが、職人さんの世界ですから連続しているんだろうと思います。

高校の吹奏楽部の同期が、アニメ「ヤマト」をカセットテープに全話録音して、繰り返し聴いていたのを思い出します。なるほどこれは、伊武雅刀の「やまとのしょくん……」を“聴く”感触と隣接している感じがする。アニメ好きと兵器・戦記好きが重なるのは、「音」という回路もありそうですね。

で、話が進んで戦闘シーンになると、たぶん、共通体験としての「戦争の記憶」では処理しきれない領域へ踏み込むからだと思うのですが、昭和20年代30年代の映画の音と比べると、この作品の音はかなり「派手」で、製作者の技術的野心みたいなものが表に出てくるなあ、とも思った。そのあたりに興奮してしまう感性が、次のアニメの中の戦争を準備するのかもしれない。上巻が「来し方」(記憶と結び付く聴覚文化)を踏まえる部分で、下巻は「行く末」(アニメの音)をそれと知らずに準備している感じがします。両者をつなぐ蝶番のような感じの作品、という理解でいかがなものでございましょうか?