舞台の上のまぼろし……のようなもの(ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』)

観察者の系譜―視覚空間の変容とモダニティ (以文叢書)

観察者の系譜―視覚空間の変容とモダニティ (以文叢書)

この邦題は、列伝風に歴史上の人物紹介が続くのかと思わせて、いまいちだと思う。18世紀と19世紀の間に視覚の転換があった。「視覚」(知覚)は、そういう風に歴史的に構築され、組み替えられるものなのだ、というお話でした。観察者の技法 - 19世紀の視覚とモダニティについて。

バレエのことを考えるのに何か参考になりそうな気がして読んでみた。

バレエというよりオペラの場合ですが、誰と誰がどういう位置で何をしているか、その配置を心の中の「カメラ・オブスキュラ」に写しておけば事足りる、という感じの、幾何学に還元してしまえばそれで終わってしまいそうな舞台演出ってありますよね。

(一方、ヴェルサイユの舞踏譜は、そういう制約のなかで、いかにエレガントに幾何学図形を描くかを競っている感じがします。メヌエットで好まれたという、Zの形に2人が動いて、真ん中でくるっと回転するパターンは、リボン結びみたいで素敵。五線譜の上で対位法をトレーニングするのも、楽譜上の点(音符)が音楽に対応する写像になっている「カメラ・オブスキュラ」という感じがする。)

19世紀に感覚を刺激の束にほぐしてしまう生理学(「身体」は外界との薄い仕切りではなく、各器官が分業でそれぞれの情報処理にいそしむ充実した「総合商社」と捉え直される)が登場・確立する過程の話は、「色彩」や「残像」がホットなトピックだった、とか(ゲーテの色彩論はそこがポイントだったんですね)、幻灯・万華鏡・ステレオスコープ・パノラマ等々、「ロマン派」を説明するのに使えそうな話題が次々出てくる。

19世紀のピアノのトレードマークであるところのペダルが生み出す「残響」は、視覚で言う「残像」とは意味合いが違いますが、リストやショパンが鍵盤上で織り上げるパッセージには「残像」風の効果を狙ったものがありそう。

バレリーナの動きに見とれてしまうのは、今その場の静止したポーズとか、物語を説明するアクション(マイム)としてではなく、一連の動きの移ろいゆく残像を記憶の中で重ねるような感じがありますよね、たぶん。そしてそれが、つま先立ちで、柔らかい素材の白い衣装で踊られたら、なるほど実体のない幽霊のように見えそうです。劇場は今より暗く、蝋燭のシャンデリアがゆらめいていたのだし。

そして舞台上の群舞の万華鏡効果は、相当色々な型と技法がありそう。

こういうのを見て楽しんでいた社交界の人たち向けに音楽を書くとしたら、なるほどショパンのような人が出てくるのもわかる。

闇をひらく光 〈新装版〉: 19世紀における照明の歴史

闇をひらく光 〈新装版〉: 19世紀における照明の歴史

ただし、「悪魔ロベール」の尼僧のバレエのシーンでは、特殊効果として電気照明を使ったらしい。(電池を持ち込んだのだとか。)ロマン主義は、最先端の「感覚刺激」だったんですね。

時代が下って、ラヴェルの電気ショックで痙攣するような「スカルボ」とか、水平線を昇る太陽を直視するかのような「ダフニス」終幕とか、ロマン主義の精巧なイミテーションと言いうる作品群は、イミテーションであるがゆえに、本家ロマン主義以上に、「生理学」が最先端の新しい「感覚」であった時代の雰囲気を伝えていると言えるかもしれない。ラヴェルは技術だけが先鋭化して、「感覚」は100年前に退行している。オタクの元祖、かも。