京響のモーツァルト、京フィルのグローフェ

いずみホールで年をまたいでやったモーツァルト・シリーズのアフターケアみたいな話になりますが、

あのときのVol.1と同じ協奏交響曲をやった京響ニューイヤーコンサート(Vnソロは同じ、Vaソロが違う)の批評は京都新聞にて(21日夕刊掲載予定のようです)。

Vol.2でセンチュリーを指揮した金聖響は、先週17日(金)に京フィルのニューイヤー定期に登場。アメリカ音楽特集の大変面白い選曲、演奏も良かった。結局、「金聖響はいい」ということじゃないかという気がします。

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その京フィル定期、解説も書かせていただいたのですが、実際の演奏を聴いたら、もっと踏み込んで書いておくべきだったと反省するくらいによく考えられた選曲でした。

コープランドのバレエ「ビリー・ザ・キッド」は、シンプルだけれどもモダンな作りになっていて、主人公のアウトローを、「社会から疎外された繊細な少年」と設定しているところがとても大事なポイントだったことが演奏から改めてわかる。数年後にブリテンが書いた「ピーター・グライムズ」や、バーンスタイン「ウェストサイド」のトニーにつながる視点がありそうですね。

で、1曲目の「アメリカの古い歌」第1集は、そのブリテンのピアノ、ピアーズのテノールでオールドバラにて初演された作品ですし、ということは、コープランドとブリテンがどこでどうつながっているのか、ちゃんと調べないといけなかったな、というのが反省点です。(ブリテンのアメリカ時代に接点があっておかしくないですよね、私が知らないだけで。)

[追記:昨年末に翻訳が出たブリテンの伝記に、コープランドとの交友の記述があった。読んでおくべきでした。]

ベンジャミン・ブリテン

ベンジャミン・ブリテン

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さて、そしてグローフェ「グランド・キャニオン」をオリジナルのホワイトマン楽団の編成で聴くと、クラシックの標題音楽と「1920年代の意味でのジャズ」を溶け合わせるというのがどういうことなのか、具体的に実感できた気がします。クラシック調の描写が続いて、こういうのを聴いて育ったであろうGHQの連中がのちに占領下の日本で大々的にプロモーションして、かつては学校の音楽の授業の観賞教材に入っていたわけですが、ここ一番でガツンとかますブラスのコードは、まぎれもなくビッグバンドの音がする。

その後1930年代に「音楽版ニューディール政策」みたいな感じにご当地音楽を次々発表して愛国作曲家になっていくグローフェと、1920年代の「キング・オブ・ジャズ」ポール・ホワイトマン、それぞれの仕事をトータルに把握しておくと、ガーシュウィンの歴史的な位置取りをはっきりさせることができそう。アメリカの「ポピュラー音楽史」と「芸術音楽史」のつなぎめ、というか、交差点みたいな場所ですよね。

ホワイトマンには少しずつ注目が集まっているようですが、グローフェのことは、おそらくポピュラー音楽研究者はやってくれないと思うので、クラシック系音楽学者の出番だと思います。

で、1930年代前半には大澤壽人がボストン留学、港町神戸から北米東海岸の「ポピュラーと芸術の交差点」めがけてやって来ます。

そうして金聖響も、プロフィールを読むまで忘れていましたが、若い頃ボストンにいたんですね。

たぶん、大澤壽人はパリだけでは読み解けないし、金聖響には「ウィーンで学んだ人」だけではないところがありそうな気がする。