労音考(1):大阪労音の本が出た!(長崎励朗『「つながり」の戦後文化誌 労音、そして宝塚、万博』)

労音といえば大阪労音なのであって、大阪労音を、宝塚・万博と並べてはじめて戦後大阪の「教養」(←背伸びしてキッチュとか言われてしもたけど、ええねん、おっちゃんらが子どもの頃の大阪はそーゆーとこやってん)の姿が見えてくる。

時代を語るのに欠かせない舞台装置が遂に調達された、という気がします。

「つながり」の戦後文化誌: 労音、そして宝塚、万博

「つながり」の戦後文化誌: 労音、そして宝塚、万博

朝日会館の愛すべきディレッタント十河厳(大澤壽人とはおそらく関学時代から旧知で「夕鶴」の初演にも関わっている)とか、宝塚から労音に転進した須藤五郎(東京音楽学校を出た左翼青年である)とか、労音創作ミュージカル「可愛い女」(作曲は黛敏郎である)とか、きっとここを掘れば何かが出てくるんだろうけれども、自分ではできないなあ、と思って通り過ぎてきた数々のトピックは、こうすれば輝かせることができるんだ、と、読みながら心底感動しました。

いわゆる「阪神間モダニズム」(かつての大阪朝日の「庶民への優しいまなざし」には山の手のキリスト教的な慈善が流れ込んでいたんじゃないでしょうか?)と、戦前以来のインテリ左翼と、東京のハイソな山の手の臭いがプンプンする「三人の会」(團琢磨の孫と芥川龍之介の息子とフランス帰り)が、「勤労者音楽協議会」という物々しい看板を掲げる団体のところでつながっちゃうわけですから、痛快な話じゃないですか。

(ただし本書の力点は、そんなクラシック音楽(CM例会)ではなく、のちに中村とうようが登場することになるポピュラー音楽(PM例会)にありますが。)

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でも、数々のトピックをめいっぱい輝かせたうえで、最後に「文化は老いる」と指摘する。

教養とか、創造・革新とか、超越(今風に言えば「卓越性」ってやつですか?)とか、20世紀の「若者」を魅了してきた価値・概念を冷静に取り扱うことができるのは、佐藤卓己先生のお弟子さんで1983年生まれだから、もう、わたしらの「子ども」でもおかしくない世代の人なんですね。

ウヨとかサヨとかネット上で騒いでいる「ココロが20世紀」な人たちをすりぬけて、こういう風にクールに歴史と距離を取りながら活かせるものを上手に活かす人たちが、これから世の中で活躍するのかなあ、と思います。

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その一方で、かつて「労音」だった方々が、今は退職されて悠々自適にコンサート通いをしてくださっていることで関西の洋楽が成り立っている、というところが間違いなくあるとも思う。

大阪のクラシックファンの方々は、カジュアルで、でも、世間に流布する「大阪」のイメージとはちょっと違って、マジメで勉強熱心なところがある、と私は思っております。そしておそらくその感じは、「阪神間山の手モダニズム」とか「商家の旦那衆の文化」だけでは十分に説明できない。(大栗裕のことも、きっとそれだけではわからない。)

おそらく「大阪労音」的なものは、今もまだ生きている。

大阪でコンサート稼業をやっている方々にも、この本に目を通していただきたい。読んだら必ず、ああ、そういうことだったのか、と思い当たることがあると思います。

おそらくそれは、「トーキョー的キョーヨー」が落下傘のように降ってくることに対して、何がどう腹立つか、という話とも関わってくると思う。あんたら、「大阪のお客さん」の顔とココロが見えてへんやろ。大阪のおじん、おばんのクラッシックへの思い入れは、阪神タイガースとたこやき、とかゆうのんとはまた違うし、わたしらは、そーゆー環境で育っとんねん。

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ところで、細かいことなのですが、19頁の

労音の発会式に出演した労音例会最初で最後のアマチュア歌手、笹田和子と十河が家族ぐるみの付き合いであったことは[……]

という文は、ちょっと意味がよくわからなかったです。

少なくとも、笹田和子は東京音楽学校を出たプロフェッショナルなオペラ歌手ですから……。この文の典拠になった十河さんの文章がミスリーディングな書き方になっているのか、著者に何か勘違いがあるのか、修正の余地があるんじゃないでしょうか。

[感想の続きあり → http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20140122/p1 ]