労音考(3):若者文化とキッチュとソーシャル・キャピタルの話をもう少しだけ

珍しく原稿が早めに仕上がったので、懸案になっている本棚の整理(のつづき)。各種演劇関係の本と映画の本とバレエの本と日本のオペラの本を、全部一箇所に集めてしまいました。

西洋のオペラ関係の本は、量も多いし、作曲家関係の資料とも絡まるので「音楽の棚」に残しましたが、“日本の”オペラは、自分の関心のあり方からいっても、歌舞伎や文楽や放送劇と並んでいるほうがしっくりくる気がするんですよね。

ということで、義太夫節&太棹とソプラノ歌手&洋楽器が三井寺の龍の話をやるのに先駆けて、わが家では既に、日本のオペラ史と文楽の歴史の本が仲良く並んでおります。

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「つながり」の戦後文化誌: 労音、そして宝塚、万博

「つながり」の戦後文化誌: 労音、そして宝塚、万博

長崎励朗『「つながり」の戦後文化誌』のことは、まだ色々考え続けています。とりあえず思いつきを箇条書きしておきます。

(1) 「クラシック音楽」は狭苦しい

とずっと思っているわけです。音を取り扱う人類の営みのなかに「音楽」という括りがあって、その「音楽 music」概念の発生源ではあるかもしれないけれども、それにしても、すごい狭い領域に色々なものがひしめいている。

長崎さんの労音論は、「クラシック」どころか、ポピュラー洋楽=ジャズもフォークも、おそらくロックも、そしてたぶん歌謡曲も、かつては「新しい文化」だっただろうけれども、今となってはオーソライズされてジャンルが細分化されていて、もうそこから若者を惹きつける「新しい芽」が出てくる場所じゃなさそうだ、ということを最後に暗示しているように読める(と私は思います)。

大筋として、そうだろうなあ、と私も思うです。

(2) せめて窓を開いて、外の空気を吸えるようにしようじゃないか

労音は、聴衆層という点でも、文化のあり方としても、「教養」の底をスコンと抜いてくれちゃったムーヴメントだったと言えると思うのですが、「クラシック」という狭い場所にとりあえずはまだ居ようと思っている者としては、せめてそんな感じに上や下や横に穴をあけといたほうがいいんだろうと思います。

四方を壁に囲まれた密室で孤独死、みたいな末路は寂しいですから。

大栗裕という人は、そういうことを考えるときにも丁度良くて、オペラだ舞踊だ吹奏楽だマンドリンだ放送局だ近世邦楽だ、と、背中を追いかけるとあっちこっちへ連れ回される感じになって有難かったわけですが、そのなかでも、改めて労音でスコンと底が抜けた爽快感は大きい。

他に先駆けて、いちはやく底の栓を抜いたのが大阪だった、という話なわけですから、ちょっと誇らしくもある。

(3) 「女子力」は次のキッチュを生産するか?

ある種の上昇志向と、それを受け止めるプロデューサーがいてはじめて、強力なキッチュが繁茂する、というのが、労音の教訓だと思います。

「大学文化に強く憧れる高卒ホワイトカラーの増大」は過去の話ですし、全共闘の騒動は、どうやら、大学の進学率急上昇に伴う制度と学生のニーズのミスマッチがもたらした適応障害みたいなものだと解釈できるようですが、子どもがこれだけ減ると、もう、学校関係で何かが起きる可能性はあまりないかもしれませんし、むしろ、何かやらかす人が滞留しているのは「職場」かもしれない。

ボランティアで互酬性に目覚める人とか、ネトウヨへ邁進する人とかもいるけれど、巨大な差異を背負っているのは、やはり「女子」の皆様なのではなかろうか。

やるならやるで、もういっそ、大々的にキッチュを炸裂させてくださいませ、みたいなことをふと思ったりする。

いわゆる「意識の高い」方々は「本物志向」が強いので、キッチュが発生する条件は十分あると私は期待しております。

ユーミンに続け!

ユーミンの罪 (講談社現代新書)

ユーミンの罪 (講談社現代新書)

(4) 「ソーシャル・キャピタル」なゼロ年代とサンフランシスコのオーケストラの件

『「つながり」の戦後文化誌』のキーワードになっている「つながり(=社会関係資本 social capital)」が北米で注目されるきっかけになったのは『孤独なボウリング』なのだそうで、この本の原書刊行は2001年。

Bowling Alone: The Collapse and Revival of American Community

Bowling Alone: The Collapse and Revival of American Community

そうして思い返してみると、2000年代に「アメリカのオーケストラ運営は凄いらしい」という断片的な話が伝わるようになって、

オーケストラ大国アメリカ (集英社新書)

オーケストラ大国アメリカ (集英社新書)

色々あった集大成・決定版のようにしてサンフランシスコのオーケストラが来日したのが2012年。

オーケストラは未来をつくる マイケル・ティルソン・トーマスとサンフランシスコ交響楽団の挑戦

オーケストラは未来をつくる マイケル・ティルソン・トーマスとサンフランシスコ交響楽団の挑戦

漠然と、北米はトクヴィルが視察した大昔からずっとコミュニティの活動がさかんで、「アメリカ型」のオーケストラ運営はそういうのに支えられているんだ、という「お国柄」のような説明があったような気がするのですが……、

1970年代から北米のソーシャル・キャピタルは衰弱している、どうする、どうなる!?とレポートした『孤独なボウリング』が2001年に話題になったのだとすると、実はむしろその後の10年で相当な「巻き返し」があり、そんな直近の取り組みの成果がサンフランシスコということだったりするんじゃないか、と思いついたのですけれど、どうなのでしょう?

(つまり2000年代に太平洋の向こうとこっちで、バーンスタインの晩年にその周囲にいた人が、それぞれの都市のオーケストラを再び活性化させて、そのときのキーワードが「つながり」であった。大阪とサンフランシスコは、奇しくもちょうど姉妹都市ですしね。

2012年は、「つながり」ブームのはじまり、というより、まとめの時期だったのではないかという気がします。そしてすでに一定の成果を生んで、ある程度決着がつきかけたもの=いい具合に古いもの、を追っかけた結果、2013年のニッポンでえらく声高に騒がれた「つながり」論は絵に描いたように見事なキッチュになった。じぇ。)

そして一方、ウィーンでは、国立歌劇場から通りを隔てたあたりで、民間団体として楽友協会がディレッタントのパワーを誇示していたりするわけで、

ウィーン楽友協会 二〇〇年の輝き (集英社新書)

ウィーン楽友協会 二〇〇年の輝き (集英社新書)

ヨーロッパのクラシックは手厚い国家の補助金ベース、アメリカのクラシックは地域有力者のボードが支える民間ベース。日本も従来のヨーロッパ型からアメリカ型へ移行すべき、という単純な図式ではないような気がしないでもない。