2000年代に調性のある大型スコアを書く意味

http://genroninfo.hatenablog.com/entry/2014/02/06/155640

1970年代以後に生まれて職業的な訓練を受けた日本の作曲家たちにとって、調性のある=楽器の特性等を爽快に活かした大規模なスコアを書きたい欲望がどのような形で噴出しうるか。

そこを狙って語るとしたら、ここ数年あるいは十数年で、若手・中堅の作曲家たちが急速に「楽しそうに」吹奏楽曲のスコアを量産していることを合わせて見ていくと、話が広がりそうな気がする。

日本の吹奏楽の新譜は、とりあえずスコアの段数と見た目の華麗さだけでいうとオーケストラをしのぐかのような印象を与えるものがあるし、物語と音楽がなにやらとても幸福に交歓している。

譜面を読みながら、こっちへ突進して本当に大丈夫なのかと心配になる(今仕事で眺めている曲はコンクール常連の高校の委嘱作品で45段のスコア……)。

佐村河内/新垣チームの仕事は、その道で解脱した吉松隆はともかく、三枝/大友ラインで判断するのはヌルいのではないか。吹奏楽で耳が肥えたマニアがどう見るか。そっちのフィルタを通した判断が私は知りたい。

ダークツーリズムがあるのだとしたら、ダークエンターテインメントというのもあり得るはずで、彼らの仕事がその域に達していたかどうか。