「わたしが研究していることについて、所要時間一分の説明と五分の説明と一三時間の説明と、どれをお望みですか?」

マーカス・デュ・ソートイは、『素数の音楽』も面白かったけれど、『シンメトリーの地図帳』(原題 Symmetry)はさらに強力に読ませる。

シンメトリーの地図帳 (新潮クレスト・ブックス)

シンメトリーの地図帳 (新潮クレスト・ブックス)

シンメトリーを考えようとすると、図形の色が塗り分けられているか否か、で話が変わってきたりするらしい。(言われてみればそうですね。回転すると「形」が同じでも色が反転してしまう図柄、というのがあるわけだから……。)「色」が、単なる質ではなく、ロジカルな構造に関与的でありうる問題領域に生まれて初めて出会ったように思い、感動した。

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タイトルに掲げたのは、英国から沖縄へ向かう飛行機のなかで、隣のおしゃべり好きなアメリカ人との会話を切り上げようとして著者が言ったとする言葉で(132頁)、学者にありがちな「気の利いた切り返し」の一種ですが、なんだかいいなあ、と思いまして。

でも、ここで書こうと思ったのは、やっぱり例の件でありまして……、

ことの本質は詐欺事件なのに、音楽業界の人たちのぐちゃぐちゃした反応は、わけわからん。いっそ、気持ち悪い、という意見を目にする。

それはそうかも、と思う反面、一頃「劇場型犯罪」、「愉快犯」という言い方で新種の悪事が形容されたことがありましたけれど、今回のは、「ポピュリズム型詐欺」とでも言うべきところがあると思うんですよ。

それを聴いてしまった人は誰もが、いや、聴くか聴かないかと一瞬でも頭の中で考えた人はすべて、そしてもしかすると、ほんの少しでのその人物の名前やプロフィールを耳にしてしまったあらゆる人を、ごっそり問題の圏内へ巻き込んでしまうような磁力があった。

「我関せず」以外には、圏外がありえない感じ。

で、こういうのは、ことが発覚したからといって、すぐには反応できない。

「わたし自身に、なにか、うしろ暗いところがありはしなかったかしら」と、(実際には9割方の人が大丈夫なんだけれども)一瞬ひるんじゃって、姿勢を立て直すのに少々時間が要る。

でも、時間がかかることは時間をかけてもいいんじゃないか、という気がする。

なんでも即答せなあかん、できないやつは無能だ、という呪いは、かえって事態を混迷させるし、そういう硬直した構えにつけこむ人が出てこないとも限らない。

一週間過ぎて、やっとひととおりエコーや残響が収まって、さあようやくこれから具体的に物事が動き出す。

それでええんとちゃうやろか。

落ち着いて考えたら、最初に思ってたほどのことではないな、とわかったんだったら、それでいいし、その場合、「落ち着くまでの時間」は、無駄ではないし、ショートカットできたとは思えない。

「時を過ごす」ことすべてが無駄だとなったら、音楽という時間芸術はワヤになる。とりわけ、「生き馬の目を抜く現代社会」とは異なる時間文化のなかに生まれた古典音楽、伝統芸能の場合は、得心するのに暇がかかる、とも言えるけれど、そんな風に音楽寄りに話を引き寄せないで、現実は、「インターネット時間」や「ツイッター時間」で動いとるわけやあらへん、と言えば済むかもしれない。

(そして、「三次元の正多面体は5つしかない」という認識のように、いついかなるときでも妥当する「普遍性」は、見つかると時を超えたかのような感動を味わうことができるけれども、それほどたくさんそのような「普遍」があって、「普遍」だけで生きていくことができる、というわけにはいかない。

数学は、「問題を解くわざ」であることに満足せずに、「証明」を重視する姿勢がとりわけ20世紀に顕著になったわけだけれども(古代ギリシャにそのような「証明」文化の起源を求めるのは、現在の証明重視の態度を過去に投影した「創られた起源」だと思う)、

音楽は、数学の隣接領域として西洋で発展したとはいえ、音楽にまつわる事象のなかで、「普遍」を「証明」できる事柄はそれほど多くない。音楽理論の「課題」をエレガントに解く喜びに目覚めた職業作曲家たちが夢想するほどには、「普遍」の楽園は堅牢ではなく、音楽は、ほぼ必ずどこかで、数学から離脱して、流れる時間のなかへ出て行かねばならない。そもそも、伝承されている音楽理論にしても、「感覚(耳の快感情)」にその教えのすべてが基礎づけられていると説明・証明・弁明できないことは既に様々に指摘されており、過去へさかのぼればさかのぼるほど、そのときどきの音楽理論は「歴史的」「社会的」「文化的」にしか、その存立根拠を説明できなくなっていく。平行五度の禁則は、内なる自然の真理ではなく、歴史的に構築された趣味だ。)

13時間かけないと説明できないことを抱えているのは、「学者」だけ、というわけではない。(ソートイも、そんな傲慢なことを言いたいわけではないはず。)説明するのが難しいことは、世の中に普通にいっぱい転がっている。ぼちぼちやろう。