ふらり

コンサートも、少し興味があったら気軽に、ふらりと立ち寄る、というのが理想だろうなあ、と思う。

そしてそれは、有料であるとか、場を準備する側に人知れぬ苦労があるとかと矛盾はしない。

ふらりと立ち寄ることができる状態を実現するためには、行くほうにも迎えるほうにもそれなりの準備がいるのだから、一種「底上げ」されているわけだけれど、それはお互い了解済み。

リアルな自然状態(それが万人の万人への闘争の場なのか、どうなのか、よく知らないが)ではなく、人工的な「第二の自然」としての、ふらり、ではあるけれど、そういう人工的な、ふらり、ができる環境が整っているところが、結局、客足も伸びている気がするなあ。

いつも、ふらりと立ち寄るところだからこそ、「今回はちょっと特別」という感じにざわめいているときは、だったらこっちも、ちょっと特別な気分で行こうかしら、と晴れやかな気持ちになるわけで。

そういう呼吸が大人の楽しみというか、文明のたしなみというか、そういうことなのかもしれぬ。

馬車が出発しそうになった時、「ハルテン!」という声が聞こえたので、金之助は御者に「ストップ!」と声をかけて、振り向くと案の定、ユダヤ系ドイツ人らしい鼻をした男が走って来て乗り込んだ。

http://ameblo.jp/tonton1962/entry-11884832157.html

どうやら当人はコンサート通いはしなかったようだが、そんな音楽家と世間話ができそうな明治の人物というと、確かにこの「個人主義」の人かなあ、と思ったりする。

羅漢―仏と人のあいだ (1977年) (講談社現代新書)

羅漢―仏と人のあいだ (1977年) (講談社現代新書)

私は「ブディスト」と即答できるかというと、たぶん、答えにつまってしまいそうだが。