入れ子構造

前に『アルテス』(電子版)で岡田暁生が「ルール工業地帯は凄いぞ」と書いていたことがあり、何だか変な感じがした。

「あれを見ないとドイツの近代化の正体はわからない。見渡す限り重化学工場が建ち並ぶラインラントを見てはじめて、オレはワーグナーからヒトラーに至るドイツの壮大な夢・妄想的に肥大した観念のインフラを理解した」

みたいな論調だったわけだが、日本の津々浦々の工業地帯ではダメなのだろうか?

山がちの列島の海沿いの限られた平地に必要な装備を配置するやりくり集約型の日本の臨海工業地帯と、一面の平地を水平線のかなたまで贅沢に使う大陸の工業地帯では見た目が随分違うだろうとは思うけれど、そんなことより、岡田暁生は京都の町育ちのお坊ちゃんだから、日本の工業地帯をそれまで見たことがなかったんじゃないか、知識としては日本が工業立国した時期があることを知っていても、それまでまったく関心を抱いたことがなかったんじゃないか。そういう風に「上を仰ぎ見る」意識ゆえに、「ドイツの」工業地帯に感動できたんじゃないか、という気がするのです。

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すごいジャズには理由(ワケ)がある──音楽学者とジャズ・ピアニストの対話

すごいジャズには理由(ワケ)がある──音楽学者とジャズ・ピアニストの対話

近著『すごいジャズには理由がある』には、そんな極東のお坊ちゃんの底上げされた意識が、テキサス生まれの白人ジャズピアニストとの関係にすきま風を吹かせかねない微妙な場面がある。

ーー フィリップさんは大学でクラシックの学位(博士)とジャズの学位(博士)をとっておられますが、そもそも日本の音大ではクラシック以外を学ぶのはほとんど不可能といってもいいくらいなんですから!

PS そうなの? クラシック以外は勉強できないの? ジャズも? ブラス・バンドも?

ーー 例外は少しありますが、原則としてできません。

大阪音楽大学はジャズ専攻があって、吹奏楽も学べますから、誇るべき「例外」ということになるのでせうか(笑)。

でも、たぶんフィリップ・ストレンジは、日本にも(大学ではないことがしばしばではあれ)ジャズを学ぶ場があって、教えるほうも学ぶほうも、かならずしも「非音楽的」で「観念的な頭でっかち」というわけじゃないのを知ってると思う。相手の認識不足をたしなめて恥をかかせるのを避け、面と向かって言わないだけで。

だって、上の会話から少し進んだところで、こういう発言をしているもん。

ーー 気のせいかもしれませんけど、どうも日本の音楽界では、本物のクオリティの高さというより、ある種の「ジャズっぽさ」の有無が、評価の基準になっている傾向があるように思います。[……]……要するに黒人っぽさ、ってことかな。

PS ボクはそういうの大嫌いだ……。でも世界中でそうだよ! 日本だけじゃない! ほとんどのファンや批評家の頭の中のジャズのイメージは黒人のイメージ。「白人にジャズは無理! アジア人はまあがんばってるね……」みたいな感じ。でも、「まあがんばってるね」は、ある意味「無理!」よりもっと評価が低い。相手にされてない。

岡田暁生に同意して、そこに言葉をかぶせる形になってはいるけれど、「アジア人[日本人]はまあがんばってるね……」という、「無理!」よりもっと低い評価に、このインタビュアーであるところの岡田暁生自身も囚われている一人っすよね。

(上の引用箇所で、岡田暁生が「日本の音楽界」と大づかみに言うのに対して、ストレンジが「ファンや評論家」と範囲を限定していることにも注意されたし。日本の「ミュージシャン」のことが話し相手(岡田)の念頭にハナからないことを踏まえ、ストレンジは巧みに文脈をズラしている。社交上手な人ですね。)

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この種の言い過ぎ(というか、ボクは特別な人間で、あなたの言うことがパーフェクトに理解できますアピール)は、彼のいつものことではあるのだが、今回は、そうした極東のボンボンの思い込みに気づいていないはずがないストレンジ氏が、どうにか言うべきことを言っているところが興味深い。

日本の洋楽ミュージシャンは、こういう感じに「カーストの最下層」という蔑視のなかで音楽をやり続けておるわけじゃ。

だいぶそういう感じは減ったと思っていたのだけれど、

ここは、割といい本なのに惜しいなあ、とか、なんだか身につまされる話だなあ、とか、読んで嫌な気持ちになることが想定される箇所だと思う。

編集者が、それをわかって残したのか、そこまで考えていなかったのか、不明だが。

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とはいえ、岡田暁生の「学びの力」はすさまじいな、ということはわかる。だから本が評判になるのでしょう。

まあ、何度も書いていますが、彼は、共通一次なんぞという甘っちょろいしくみで「受験地獄」が緩和されはじめる直前の、旧人類最後のひとりですし、学者の「二世」ではあるけれども、だからといって、そのようなむき出しの実力主義を標榜する教育システムのなかで力が発現しなかったら、どんなに育ちはよくてもパパのようにはなれない、みたいに突き放された環境で努力したのだろうと思います。

音楽の道に進む、というのも、音大のしかるべき先生につくのは、まだ音大教授という地位が大変なオーラを放って君臨していた時代ですから、相当に敷居が高かったはず。

(たぶん岡田暁生が「日本の音楽人」を踏みつぶすような物言いをしてしまうのは、子どもの頃に遭遇した「昭和の音大教授」を意識の底の理性的に制御できないところで今も恨んでいるんだと思う。そして似たような怨恨を胸に抱く人は岡田シンパになりやすい、という傾向がありそうだ。「洋楽好きの音大嫌い(しばしば高学歴)」というクラスタが、日本には確かに存在する。それは、音大生=深窓の令嬢、というオトコ目線と表裏一体、かもしれない。お嬢様への憧れが、厳格な門番への怨恨に転移する(笑)。)

そんな感じの環境で、それでも音楽を愛し、なおかつ学者のパパの背中を追いかける、というのを彼はどうにか達成できた。これを単に文化資本とか、育ちの良さ、に還元して説明するのは、さすがマズいとは思います。

(大学教員の子女だからといって、AO入試であれよあれよという間にハーヴァードで理化学研究所、ということではないわけで。)

京都の音楽学者とテキサスのジャズピアニストの対話は、ありえたら素敵だったかもしれない明治の文豪と世紀末ウィーンのユダヤ人指揮者の対話ほど理想的というわけではないけれど、

一方が夢想としてしか存立せず、他方の現実はこうだ、というのが「未完のプロジェクトとしての近代日本」なのかもしれませんね。

戦後レジーム、なるものを見直そうとすると、こんな感じにあっちこちに、色々なねじれをこじらせたり、こじらせなかったりしながら生きている人がたくさんいるわけですから、トップが決断したとしても、そこから先が、気が遠くなるほど大変な道のりでしょうなあ。