「にあわないのが新しい」

……ゴン、と言っても若い人には通じようもないが(笑)。

たぶん、弦楽四重奏でプログレ、というのは、いかにもカルテットに合いそう「ではない」ところが燃えるのではないのかなあ、と、なんとなくそう思った。

既成の殻を破る、って奴ですか。

うーん、だから、弦楽四重奏にはこっちのほうが似合うんじゃないか、というアドバイスは、学校の先生の、失敗が運命づけられた生活指導みたいなことになるんとちゃうかな。

(ウィーンの教養市民が「室内楽の人ブラームス」(ウィーンへ来た頃は管弦楽の実績なんてまだほとんどなかったですよね)を温かく迎え入れて育てたとされるジャンルに、ユダヤ人シェーンベルクが殴り込みをかけた故事を今更引き合いにだすまでもなく。)

先日、朝早くのBSで演奏しているのをちょっとみたけれど、成立してる感じがしたし、ロックが順当に中高年のジャンルへ移行しているのとうまく歩調を合わせてるんだろうな、と思いました。

私らの世代で、還暦過ぎてから猛然とエレキギターを習って、『すごいロックには理由がある』という本を出す人が現れても驚くには当たるまいし、今は、そのための前振り、苗床が着々と準備されているのかもしれない……。

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(今日はちょうど授業で、弦楽四重奏とは? という話になったのだが、ハイドンやボッケリーニやベートーヴェンがこの編成・形式・様式で作曲するようになった来歴を個々に詮索するだけでは、何かすっきりしないものが残るんですね。

(1) 弦楽4パートの書体で、なおかつ、(2) ヴァイオリン系の楽器だけで上から下まで統一して、しかも、(3) 各パートは1人ずつで、(4) 楽曲の形式はシンフォニーやソナタに準じる3、4楽章構成で、という風に条件を足し算すると弦楽四重奏をいちおう定義できるけれど、(1)〜(4) それぞれの由来を個々にたどっていくだけでは、いまいちピンと来ない。

同族楽器のコンソートというのが結構前から色々あった、とか、コレッリ風のトリオ・ソナタ(旋律楽器がツートップになっている!)が好まれたのはどういうことだったのだろう、とか、もうちょっと長いスパンで「室内楽という理念」みたいなものを想定して上から包み込むような説明がないと、弦楽四重奏の「決定版」な感じを説明できなさそうですよね。

しかも、本当にこれが「室内楽の決定版」になった時期は、多くのクラシック音楽のジャンルがそうであるように、19世紀のかなり後の方なのでしょうし……。

鮮明な像を結んで、「概念」が固まると、とたんにそれを壊し、乗り越えようとする動きが出てくる、という、お手本のようなケースですよね。)