影響力を過信する男

https://twitter.com/smasuda/status/537045870110191616

増田聡先生の書評は、版元の営業に事前通告しなければならないくらい影響力があるらしい。偉くなったものである。その経緯を全部公開するとは、今の世の中、談合がおおっぴらになったものだ(笑)。

だって、この話は「誉める」「オレは売り上げ倍増に役立つ文章を必ず書く」と事前に確約したようなものでしょう。それは評者として公正な態度と言えるのか。むちゃくちゃじゃないか。

学者が研究書を公刊するのは何のためか、書評は誰のために書くのか。根本的なところで大きな勘違いをしているんじゃないか。

それに、こんなことを事前に発表してしまうということは、彼に書評を依頼した媒体を貶めることにもなるよね。「せいぜい、党派的なプロパガンダのために、この媒体を利用してやろうじゃないか、へ、へ、へ」と言っているようなものでしょう。

(まさかとは思うけれど、あなたが書評を依頼されている媒体のなかに、査読誌とかまで含まれていたりしないだろうな。もし、私も会員であるような学会の機関誌でそういうことをやろうものなら、会員のひとりとして本気で問題にするよ。)

岡田暁生(自分以外誰も得をしないように周囲を引っかき回し続けた男)を先輩として尊敬しているだけのことはあるわ。先輩の一番ダメなところをピンポイントで見習うのも、才能ではあるのだろうか。

最近ちょっと気になっているのは、大学教員という肩書きが、実質的なスポンサーを隠すための道具になっているところがあるというところだな。外部資金をもらったら、関連業界についての発言する場合は、例えば※※※大学教授(ギャンブル振興協会・・)とか明示義務をつけたほうがいいんじゃないか。

みなさ〜ん、これからしばらく、この先生は、

増田聡 大阪市立大学准教授(せりか書房(公認申請中))

という肩書きで生きていくそうです、応援してねっ!

      • -

社会学者は「この研究は社会学か?」をすごく気にするよなあと感じる。弱小学界の音楽学とかやと前世紀はともあれ今世紀になるとすっかり腑抜けになりまして(笑)音楽扱ってちゃんと人文学の作法でやってれば誰でも仲間やもんな。ずいぶん生きやすくなりました

https://twitter.com/smasuda/status/536496547903459328

この不気味な感触のつぶやきのあたりから、これはそのうちまた、ルサンチマンが悪く暴発するのではないかと思っていたが、思い切りドス黒いのが出てきましたね。

今は、二流の音楽学者にとって、おともだちが欲しくてたまらない、寂しい寂しい風向きの時節なのだろうか? 世間の風向きを完全に読み違えているとしか思えないのだが。

どいつもこいつも。まあ、知ったこっちゃないが。

http://d.hatena.ne.jp/smasuda/20141125

これひとつだけでも、ハンドリングを間違えたら大失敗しそうな案件なのだから(クラシック関係から鈴木さんだけ、というのは、ちょっと見通しが甘いようにも思うが)、できることだけ慎重に丁寧にやっとけばいいのにねえ。

[佐村河内問題に切り込むのであれば、彼の売り込みにどの出版社がどのように絡んだか、クラシック関係のジャーナリズムだけでは到底不可能なスケールでの事業展開の背景にあるのは、(大手)文芸出版社における音楽の取り扱い、という案件だと思うので、ここをちゃんとやってくださいね。鈴木さんを呼ぶんだったら、なおさらのこと、新垣さんについての友人代表としての見解だけでなく、音楽をめぐるジャーナリズムの問題についてのコメントを引き出してください。]

      • -

今世間が知りたいのは、学者の度量と「分際」がどういうものなのか、どこまでのことを任せることができて、どこから先は学者に妙な期待をせずに自分たちの知恵でどうにかしないとしょうがないところなのか、境目を見極めること、そうして、お互いへの敬意を取り戻すことだと思う。

一昔前のように、「俺たち、やれと言われればなんでもやります、しがない芸人でございます」と、本当はそんな風に思ってないくせに腰が低いフリをするデフレ感満点のパフォーマンスは、いいかげん止めて欲しい。