2014年12月4日の増田聡先生のツィッターでのご発言について

火事が起きて取り残されている人を助けに飛び込もうとしてる時に「飛び込む許可は得たのか。手続きと説明をちゃんとしろ」とゆうてくるような類の人はどうしたら世の中からいなくなるのかねえ

https://twitter.com/smasuda/status/540473588986290177

最初に2点お断りしておきます。

(a) 引用したご発言は私の「資料提供者への態度」(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20141204/p4)を受けたものであり、増田先生は、「緊急を要する場合には、正当な手続きを経ない資料入手もやむを得ないのではないか」という考えを火事場に喩えている、私はそのように解釈しました。

もし、この解釈自体が不当であるというのであれば、その旨、ご連絡いただければ対応します。

(b) また、以下の文章は、増田先生が入手した佐村河内守名義の作品の総譜の入手ルートを詮索する目的で書いたものではありません。

あくまで一般論として、現時点で佐村河内守名義の作品の総譜を権利者・所有者の許諾なしに使用することが得策か否か、についての私の意見です。

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(1) 佐村河内/新垣騒動は、マスコミを巻き込むスキャンダルとしては既に鎮静化しており、「今が火事の真っ最中である」という現状認識は当たらないのではないか。既に事態は、現在進行中の騒動に臨機応変に対応する段階を終えて、あのとき何が起きたのか、検証する段階に来ているのではないか。

(2) 佐村河内守名義の作品の総譜を楽譜の所有者もしくは権利者に無断で入手した上で、現時点で研究・提言を行うことは、どこかしら司法取引を連想させます。権利者の「お目こぼし」を期待する態度だからです。

もしかすると増田先生は、権利者に対して、

「君たちの不利益になることはしない、言わないから、今回は見逃してくれ」

という暗黙のメッセージを発しているのでしょうか。しかしこれは乱暴ではないでしょうか。

私は、再三申し上げているように、今回の一件での出版社等の権利者の態度を「自粛」と解釈するのは、何の検証もせずに事態をブラックボックス化することであり、不適切だと考えています。(→http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20141201/p1

一方、増田先生は、今回も「作者の不祥事で関係ない作品が罰せられる」事例に準じて論じたいとお考えのようですね。(→https://twitter.com/smasuda/status/540525118728859649

果たして彼らの態度を「自粛」であると判断した根拠は何なのでしょうか。「お目こぼし」を期待する司法取引めいた手法は、この点についての理性的な検証、おそらく一枚岩ではないであろう関係者の事情についての調査の道を閉ざします。

「これは自粛であった、ということにする。それが、オレと出版業界双方の顔が立つ決着なのだ」

と独り合点で決め込む態度に私は納得できません。それは、増田先生の業界への「忖度」なのでしょうか、それとも、具体的な何らかのやりとりが水面下である(あった)のでしょうか。

増田先生個人が誰かと取引して仲良くなるのは個人の自由ですが、そのような曖昧な関係の上に研究テーマを構築して、そこに他の研究者を誘い込むようなことを画策するとしたら、それは、一線を越えていると言わざるを得ないのではないでしょうか。

[なお、上に引用した増田先生の書き込みの発想・論法・語法は、いかにも内田樹が言いそうなことであり、口ぶりが似すぎていることに強い危惧を抱きますが、少なくとも今回は、「信教の自由」ということで、この点について、これ以上は何も言いません。]