正直に「できない」と言う

学問の意義(とりわけ人文)を話題にすると荒れるわけだが(笑)、

狂信的な「能力主義」が言われるご時世だからこそ、問われたときに、「○○はない」「○○ではない」「○○はできない」と、是々非々で正直に答えるのが大事じゃないか。それを言えるための教養なんじゃないかしら。

はっきりしない隙間を突いて、「○○もあり(かもしれません)」という期待値ばかり広げて、

「でも××ではないんですよね」

と言われた途端に切れる、荒れる、話をそらす、は勘弁して欲しい。

学問不信とは、煎じ詰めれば、迎合に慣れすぎて、NOを忘れたことへの戒めなんじゃないか。