大栗裕「大阪俗謡による幻想曲」に関してウィキペディア項目にも観察される独特の言説への戸惑い

[2/10 一部改稿]

【引用1】

作曲された時点では《大阪の祭囃子による幻想曲》とされていた本作品は、後の1970年(昭和45年)に改訂版が作られた時に改題され《大阪俗謡による幻想曲》となりました。

【引用2】

この時点での題名は『大阪の祭囃子による幻想曲』となっていましたが、1970年にいくつかの修正を加えた改訂版が作られ、この時に『大阪俗謡による幻想曲』と題名も改題され、以後この版が一般的に使われています。

【引用1】は、いずみホール音楽情報誌『Jupiter』Vol.150(2015年2・3月号)に掲載された文章で、「文・戸田直人」となっており、

いずみホールで久しぶりの吹奏楽による主催演奏会が今春開催されます。[……中略……]新鋭の書き手が今回の演奏会の魅力を、歴史ある団体の歩みを通して語ります。

というおそらく編集部によると思われるリード文が添えられている(p.3)。

【引用2】は、大阪市音楽団第110回定期演奏会のプログラムの曲目解説で、「大阪市音楽団:三宅孝典」と記載されています。

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【白石の反論と推理】

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20150205/p1

↑で指摘したように、上の2つの引用文の主張はあまり正確ではない。

でも、そのことよりも気になるのは、ほぼ同時に2人の人物がほとんどそっくりの主張をしていること。

これは偶然とは思われないので、この2人が参照した共通の情報源があるんじゃないか、というのが私の推理。

さしあたり、ウィキペディアにも類似の記述がある。

1970年版

改訂版。現在この曲がオーケストラによって演奏されるときに一般的に使われる版。1956年版が再構成されたときに発生した、1955年版との曲の展開、楽器の用法等の差異はそのままに、いくつかの芸術的動機による修正も加えたと思われるもの。この時に「大阪俗謡による幻想曲」に改題。

大阪俗謡による幻想曲 - Wikipedia

私が知る限り、「大阪俗謡による幻想曲」1970年稿について、「この時に「大阪俗謡による幻想曲」に改題」と記載した文章は、私の知る限りこのウィキペディアの項目以外になく、この記述が登場するのは2010年以後だったと記憶します。

そしてこのウィキペディアの項目は、「外部リンク」として私の論文(http://www3.osk.3web.ne.jp/~tsiraisi/musicology/article/ohguri-fantasia-osaka.html)を挙げているので、書いた人が私の論文を不正確に要約した結果が、「1970年に「大阪俗謡による幻想曲」に改題」という謎記述だと推察されます。

上記【引用1】【引用2】とこの記述が似てしまっているのはどういうことか。

  • (a) 偶然の一致に過ぎない
  • (b) どれかひとつがソースで、他がこれを踏襲した
  • (c) 3者の背後に、文章として公然化されていない何らかの出所がある

さしあたり3つの可能性が考えられ、そのうちのどの推論が最も確からしいか、即断はできませんが、ひとまず先に進みます。

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【白石の要望】

読むたびに吃驚して心臓に悪いので、ウィキペディアのこの記述を、どなたか訂正していただけないでしょうか。

「大阪の祭囃子による幻想曲」というタイトルは*初演以前の段階で*破棄されており、このタイトルでこの作品が上演されたことは一度もないです。

が「要出典」だと言うなら、いくらでも資料は出しますよ。むしろ、1970年まで「大阪の祭囃子による幻想曲」というタイトルが使われ続けたなどというトンデモな意見こそ「要出典」でしょう。先に書いた者勝ち、みたいなバカなことはしないで欲しい。

[2015.2.9現在、ウィキペディアの当該箇所は修正されたようです。作業されたのがどなたが存じ上げませんが、ありがとうございます。]