私は、大栗文庫の(まだ十分整理されていない時期の)目録のタイトルだけ見て、「大阪の祭囃子による幻想曲」というのがあったのでこれが怪しいと思って借りて中を調べたわけだが、結論から言うと、これは草稿で、これをもとに、1956年の初稿、現存しない1950年代後半から1960年代に使用されたと思われる第2稿、1970年の第3稿が作成されたのであろうと判定したわけだけれど、
もしかすると、人は草稿と清書という概念の区別、あるいは、稿と版の区別がよくわかっていなかったりするのだろうか。
草稿は、いわば下書きなので、書いた本人はこれを見ながら清書することができるけれど、他人には、どこが何とどうつながっているのか、清書稿などと照合しながらじゃないと解読できないし、当然、楽譜ではあってもそのまま人前で演奏とかできない。
そして草稿に「大阪の祭囃子による幻想曲」の題が書いてあったとしても、それは下書き段階での腹案のようなものだ。
作曲者がこの当初の腹案と、人前で演奏(初演)したときに公表された題のどちらをよしとしたかは、今度は楽譜以外の傍証がないと判断できない。
あと、これは別の用語法を採用する人がいるかもしれない好みの問題があるかもしれないけれど、手書きの楽譜は、紙にペンでひとつずつ音符を書き入れていくので、私は出版の「版」を使うより、原稿の「稿」を使うほうがしっくりくる。だから、1970年の最後の楽譜を「決定版」と呼ぶのも、ちょっと違和感がある。手書きの自筆譜があるだけなので、言うなら「決定稿」か。
それに、こういう言葉遣いにしておくと、
「大栗文庫には、吹奏楽のための神話の1973年の自筆譜にもとづく1989年の音楽之友社版の朱を入れたゲラ刷りが保管されている。校正したのは、この出版譜に序文を書いている辻井清幸だろうか。」
という風に簡潔に書けて便利。
なのだけれど、慣れない人には読むのが難しいのだろうか。
ひょっとすると、それで「1955年版は大阪の祭囃子による幻想曲という題であった」という誤読が同時多発的に複数の方面で発生した、とか??
まあ、可能性は色々考えられはするわけだが。
モノと対応づけて言葉を使っているので、それがわかればそんなに難しくないはず、と思うのだけれど、この段階で誤読されると、ヒトが絡んで込み入った話は、もう一切できないよね。
「若い人をツブしてはいけない」という言い方はわかるが、ついてこれない人に歩調を合わせていると、こっちが先へ進めないじゃないか問題、というのは、どうすればよいのか。
「大栗裕とバルトーク」の件は、「大阪俗謡による幻想曲」ポケットスコアに書いてある話の先に、ややこしいことがまだいくつもあるのに。
音楽学を教える大学の先生たちは、音楽資料の取り扱いのイロハをちゃんと学生に教えて欲しい。
[以上、純粋な愚痴]