大栗裕伝説

一般の吹奏楽ファンの方々がどん引きしそうなシビアな話が続いたので、話題を変える。

大栗裕の「大阪俗謡による幻想曲」吹奏楽編曲と「吹奏楽のための神話〜天の岩屋戸の物語による」は大阪市音楽団が委嘱初演した作品で、その後人気も出た。でも、本当にブレイクしたのは作曲者の死後で、なかなか楽譜が出版されない「幻の名曲」みたいなところがあった。

80年代には、「コンクールで話題になって、みんながやりたがるのだけれど、楽譜が出ていない」というケースが大栗裕の作品だけでなく、クラシックのアレンジ曲でも色々あった。そしてそういう曲をやりたいときは、つてを頼って楽譜を借りてきたわけです。(現在、吹奏楽専門の出版社がいくつもあったり、作曲家が個人営業で楽譜の管理をしている=そういうのがいちおうビジネスとして成り立っているのは、吹奏楽の世界に一定のニーズがあるからだと思います。)

大栗裕の作品について、おそらく大阪市音楽団には問い合わせがあっただろうと思うし、団員さんは同時にアマチュアの指導をやっていらっしゃるので、個別に応対したこともあるんじゃないかと思う。そして指導するときには、「大栗裕ってどんな人?」と聞かれたり、色々なエピソードを語り聞かせたり、ということがあっただろうと思います。

(たとえば、私の学生時代に大阪市大の吹奏楽団が市音の楽員さんの指揮で「大阪俗謡による幻想曲」をやったことがあり、このレコードは大栗文庫にも寄贈されています。)

1990年代になると、楽譜も主要なものはいちおう出版されて、吹奏楽関連の雑誌などでは、大栗裕は邦人作品の定番と見なされるようになって、情報がひとしきりゆきわたる。

ただしその頃広まった情報のなかには、大栗裕が「レア曲」だった時代に人づてに伝わったと思われるトピックが混じっていて、なかには真偽不詳のものもある。

2008年頃から資料を調べる過程で、「それはないわ」とツッコミを入れることができてしまう案件がいくつか見えてきたのも事実で、私としては、気を遣いながら物を言っているつもりなのですが、ひょっとすると「気に食わん」と思う人が出てきたとしても、それは仕方がないかもしれませんね。

代表的なものをまとめておきます。

●「東洋のバルトーク/大阪のバルトーク」

大阪俗謡による幻想曲を朝比奈隆がベルリン・フィルで指揮したら、ヨーロッパの人たちが大栗裕を「東洋のバルトーク/大阪のバルトーク」だと絶賛した

という感動的なエピソードです。このエピソードを資料で検証するとどうなるか、結構ややこしいことになります。中間報告的な概略は「大阪俗謡による幻想曲」管弦楽版ポケットスコアの序文にまとめられています。

●「大阪俗謡による幻想曲の楽譜を記憶で再構成した」

初演の楽譜をベルリン・フィルに寄贈してしまったので、国内で再演しなければならなくなったときに、記憶を頼りに楽譜を再構成した

というお話。作曲家として大栗先生はすごかったんやで、ということになりますが、残念ながら、大栗文庫で、作曲者がずっと手元に保管していた草稿が見つかりました。楽譜の書き直しは、草稿を元になされたと思われ、大栗裕はそこまでのスーパーマンではなかったようです。

(私の最初の論文は、この草稿の存在を報告する趣旨で、この論文を出すと、伝説の一角が崩れてしまうことがわかっていたので、書き方には気を遣ったつもりです。それでも、樋口幸弘さんなど、良い気がしなかったかもしれないなあと思います。それはもう、仕方がない。)

●「ええかげんなオッサンや」

質問しても、「あんたの好きにしたらええよ」と言うばかりで、ええかげんなところがあった

大栗裕の人物像は、「練習は厳しかった」と、主にマンドリンなどの指導を受けた人たちが回想する一方、いつ会ってもニコニコしていた、授業は面白かった、温厚な先生だった、という大音大や京女の関係者の証言もあります。矛盾しないと思いますが、厳しさと温厚さが両立していたようです。

一方、演奏家・音楽関係者さんのなかには、「ええかげんな人やった」と回想する人もいる。たぶん、若手でこれからのし上がっていこうと思っている人から見ると、隙だらけのおっちゃんに見えた、ということだったのではないかと私は想像しております。

(本人は普通のおっちゃんやで、という声もよく聞く。)

でも、残された資料を整理していくと、作曲の仕事ぶりは彼なりに筋が通っているなあ、と思うことのほうが多くて、これは、今も調査整理中で、今後の宿題です。

●「おならプー」

いきなりお下劣でもうしわけない!

泥臭い笑いが好きな人だったという話は色々耳にするわけです。たしかに本人が書いた文章もユーモラスです。

「この曲のここは、おならプーや」、とか、ここは大阪弁で○○○○と言ってるんや、とか、そういう伝承がいくつかあるらしいのです。

特に晩年、1970年代の吹奏楽曲は、変拍子なのだけれども、音価としては8分音符が狭い音域でズルズル、ネチネチ続く、というパターンが多くて、いかにも、言葉をあてはめられそうなんですよね。

私は、ひょっとすると、こうした伝承のなかには、作曲者本人から出たネタがあるんじゃないかと思っています。

音楽にふさわしいリラックスしたムードを作って、ややこしいリズムを覚えやすくするアイデアとしても、アリですよね。

大阪市音の古株の人とかに聞いたら、何かこっそり教えてくれそうな気がします(笑)。

ただし、この最も有望そうな伝承は、最も表沙汰にしにくそうですね。たいてい、そういう風に曲にあてはめる言葉って、内輪ネタとか密室芸とか、そういうノリですからね……。

(大栗裕伝説は、どういうわけか宗教説話っぽい雰囲気なんですよね。遠くの国での英雄譚があるかと思えば、親しみのもてる一面が披露されたり、秘伝・外伝っぽいものが混じっていたり……。

大阪フィルや大阪音大は、伝説の語り部というより、代表作をきっちり後世に伝える役割を背負った大寺院という感じですが、大阪市音楽団は、心のふるさと感があるかもしれない。そしてそれは悪いことではないはず。今後どうするご意向なのか、まだはっきりとはわからないけれど。)