音楽家の Work の範囲

作曲家の作品目録にはその人物が自らの「作品」として書き残した楽曲をリストアップすることになっているわけだが、大栗裕の作品目録をまとめるときには、歌劇「赤い陣羽織」とか、吹奏楽のための神話と並べて、「関西学院大学マンドリンクラブ第42回定期演奏会」とかいった公演名を立項したほうがいいのではないかと考えつつある。

そのように考えた直接のきっかけは、大栗文庫に彼の「作品」(楽曲)の録音だけでなく、その曲が上演されたコンサート全体のテープが残されている場合があって、これをどのように整理・分類したらいいか、判断を迫られているからなのだが、

改めて考えてみれば、

大フィルの定期演奏会でしかるべき作品が初演された、というのと、関学や京女のマンドリンクラブのために新作を書くのは意味が違うかもしれない。前者の場合、作曲者の「仕事」は楽曲を提供するところまでだが、後者の場合、大栗裕は関学や京女のマンドリンクラブでほぼ毎回編曲も手がけているし、自ら本番を指揮している。そして顧問や技術顧問という立場だったのだから、コンサートを含むクラブ活動全般に対して何らかの責任を負っていると考えられる。

自らが顧問や技術顧問として関与したコンサートの全体が彼の「作品」である、というのは言い過ぎだが、作曲家として発注を受けた楽曲を提供するだけの分業が成立していたとは考えにくい。アマチュアのクラブ活動の顧問や技術顧問の「仕事」は、楽曲提供(作曲家としての)と演奏会のトータルコーディネートの間のどこかに定位されるもの(だった)のだと思う。

そのようなタイプの音楽家の「仕事の目録」を作るとしたら、顧問や技術顧問としての活動の落としどころがどこであったのか、判断できるような材料、少なくとも、そこに検討を要する「問題」があることを示唆する構成になっていたほうがいい。

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で、ここまで考えると、そもそも Work の語が作品と仕事の両方を指しうるじゃないか、ということが意味をもちそうな気がしてくる。

音楽家の Work は曲を作ることだけじゃないんだから、Work Listに「作品」だけを並べようとしなくてもいいんじゃないか、ということです。

(作品目録が作曲と演奏の分業を自明の前提として作成されていいのだろうか、ということで、この話は案外広がりをもつかもしれない。)