ヴォツェックのLP

昭和27年(1952年)の芸術新潮9月号の座談会で、吉田秀和は「先日、中島健蔵の家でヴォツェックのレコードを聴いた」と言っている。ミトロブーロスのLPだと思うのだが、ヨーロッパへ行く少し前まではこういう状態だったんですね。

別の号では、鳴り物入りで来日したメニューインのバルトークに、吉田秀和が「なんで彼はあんな演奏をしたんだろう」と噛みついていて、偉くなってからホロヴィッツに苦言を呈するより、こっちのほうが武勇伝なんじゃないかなあ、と思う。(全集には一切収録されていない吉田秀和の座談・対談も、どこかでまとめて出した方がいいんじゃないだろうか?)

その他、「春の祭典」の日本初演について、「レコードで知っているのより、随分遅い」という感想が書いてあったり(巻頭の匿名コーナー)、創刊当時の芸術新潮の音楽関係の記事は、音楽雑誌で見栄と虚勢を張るタイプの背伸びした書き手が登場しないので話がはやい。