社交の呼吸

共産主義と自由主義が「東」と「西」(どこを視点に東西を言っているんだ、ということではあるが)の「陣営」として nation-state が連携する感じになっていたご時世には、だったら欧州の国々も連携できるところは連携しておきましょうということになって、ロシアとか中国とか合衆国とかがそれぞれの「陣営」のなかで一人勝ちして、nation-state の枠組を保ちながら他民族他文化を取り込んでしまう「帝国」風の体裁を整えるようになったのにあわせて、だったら欧州もひとつの地域にしてみましょうか、ということで10数年やってはみたものの、やっぱりそういう、バベルの塔を地上に建設するかのような「帝国」路線はヤバそうだ、ということであれば、「一抜けた!」と宣言する者が出てくるのは、まあ、ありそうな選択肢だよね。

SNSで「つながり」こそが命綱と思っている人たちには、そういう個人の処世術からの類推で、何かから離脱する動きというのが、文脈や話の水準と関係なく、忌まわしい事に見えるのだろうか?