分かち書きを越えて

生成文法の概説書を眺めてみた。

チョムスキーの生成文法が1950年代終わりに出てきたときの初期ヴァージョンは、人間には生得的な言語能力があるという壮大な仮説と、分かち書きされた英語の単語の並び順、という、いかにも表層的な議論がアンバランスで、その危うさが魅力でもあったんじゃないかと思う。(分かち書きというのは、せいぜい1000年くらいの歴史しかないのだから、「単語」という区切りは文化・社会的な表層で、とりあえず、生得的な能力の現れには見えない。日本語のように、分かち書きしない書記システムもあるのだし。)

生成文法は、まるでコンピュータのように急速なヴァージョンアップが続いていて、最近の理論は、実際にコンピュータによる音声解析とも相性がよさそうな形(ということは、分かち書きを前提としない発話にも違和感なく適用できそうな形)になりつつあるようで、穏健なところへ落ち着きつつあるのかなあ、という感じがしました。

生成文法の企て (岩波現代文庫)

生成文法の企て (岩波現代文庫)