白狐の湯

歌劇「赤い陣羽織」は何度か見る機会があったけれど、1955年の初演を踏襲した「白狐の湯」との二本立ては初見。([追記] 関西歌劇団の「赤い陣羽織」を「白狐の湯」と組み合わせた上演、つまり「白狐の湯」の再演は過去にも例があり、これが初演以来始めてのカップリングというわけではないけれど。)

赤い陣羽織は武智鉄二演出を踏襲する関西歌劇団の十八番なので面白いに決まっているわけで、改めて、木下順二に勢いがあった時代に夕鶴(山本安英/団伊玖磨)とは全然違う可能性を民話劇から引き出した武智鉄二/大栗裕は凄いと思う。

(昭和の左翼インテリには、それだけの振り幅があったということですね。)

その上で、武智演出をデフォルメしたり(林誠)、趣旨を踏まえつつ別の演技スタイルで処理したり(清原邦仁)、演出をすっかり入れ替えるのとは違う種類のヴァリエーションが生まれつつあるようですね。

(遂に関西歌劇団のアカジン演出が武智鉄二に私淑した桂直久の手を離れた、ということでもある。桂直久のアイデアでのちに付け加えられたと伝えられる第2場冒頭のスポットライトは踏襲されていましたが。)

白狐の湯は、そもそも谷崎潤一郎の戯曲が成功してそのあとに継承された演目ではないし、舞台上の出来事と連動しない長台詞(=近代劇・新劇の特徴)に劇場でつきあう習慣が今は失われているのだから、よほど演出・見せ方を工夫しないと成立しないように思う。

(でも、ワーグナーやシュトラウスの楽劇の台詞を日本語訳して台詞劇として上演したら、これに近い感じがするのではないか、とも思う。近代劇・新劇を前提とする音楽劇を、音楽(要するにオーケストラ)の面白さで評価する、というだけでいいのか、歴史認識として、台詞に全面的に依存する音楽劇が、つまらないけれども演劇とはそういうものだ、と思われていた時代があったことを忘れてなかったことにしてしまうのはためらわれます。20世紀=昭和の時代には、退屈な長い語り、というものが存在したのです。)

「白狐の湯」で、女狐が「こん〜〜やは」と、「ん」の音を長く伸ばすのはちょっと面白かった。日本語の「ん」の扱いという問題の面白いサンプルだと思う。

あるオペラ歌手から、ピアノ曲や器楽のモーツァルトとオペラのモーツァルトは別人に思える(=モーツァルトの器楽は「古典派スタイル」に収まってしまうけれど、モーツァルトのオペラはそういうお行儀のいい様式美を踏み越えている)という話を聞いたことがあるけれど、大栗裕も、オペラを書くと、管弦楽や吹奏楽のときとは別人のように何かのスイッチが入るところがあったのかもしれない。赤い陣羽織や夫婦善哉のオーケストラは、異様なまでに豊かで饒舌だと思う。そして、朝比奈隆が指揮していた作曲者の生前よりも、今の指揮者・演奏家のほうが、大栗裕の総譜の豊かさを正確にフォローできている気がします。

先の山田和樹指揮による大澤壽人コンサートでも思ったことですが、日本の近代洋楽には、まだちゃんとした演奏に恵まれることなく埋もれているスコアがたくさんあるんじゃないか。

関西歌劇団の武智鉄二創作歌劇で言えば、「修禅寺物語」と「卒塔婆小町」は、誰かが決定版になりそうな録音や上演を達成して欲しいものだと思っております。