21世紀の「曲目解説」 - ニュー・ミュージコロジーと生涯学習の間

カルスタ・ポスコロ・ポストモダンを取り入れた視点で「クラシック音楽」を語り直すのが北米流のニュー・ミュージコロジーというスローガンだったのだろうと思いますが、

ふと気がつけば、西洋音楽史の授業でハイドン(ハンガリーからロンドンへ、そしてヘンデルを手土産にウィーンへ)を語るときでも、ランダムに主催者が発注するコンサートの曲目解説を書くときでも、ほぼ何でも、今は情報が出そろっているので「ニュー・ミュージコロジー」に書けますね。

地球上を覆う情報のネットワークが、人力で毎回こつこつ準備せざるを得ない興行を追い抜いてしまった感があります。

「普通の曲目解説」は、わざわざ学者や評論家に発注しなくても、音楽ライターや音楽ジャーナリストに頼めば十分だ、というのもまた、こうした状況の現れだと思いますし、そういう状況があるから、「ライター」が「芸術で食う」ことができているのだと思いますが、しかしこうなると、昔ながらの演目・プログラムのコンサートのために、毎回わざわざ、紙のパンフレットを手間暇かけて作る意味があるのか、ということになりそうですね。

「普通のコンサート」は、曲目と出演者だけ告知しておけば、曲と演者のプロフィールは、気になる人がネットで検索するだけでいいんじゃないか。そして、それなりのコンセプトがあるコンサートの場合は、そのコンセプトに沿った(おそらく「ニュー・ミュージコロジー」的にならざるを得ないであろう)説明文を配布したほうが、型どおりの「曲解」よりも、むしろ、ユーザフレンドリーなのではないか。

別に大げさな問題提起ということではなく、たぶん、水が流れるようにサラサラと、早晩そうなっていくだろうなあ、という感触がある。

(実際、ソロ・リサイタルや室内楽、音楽祭イベント等では、曲目・出演者を記したペラ紙だけが配布されるケースも珍しくはないし、サバルタンを標榜する大手事業主たちのネオリベ・イベントであるところの「ラ・フォル・ジュルネ」(←既に複数の地方公共団体が離脱した)が音楽祭のたびに本を作る、というのは、いかにも too much ですからねえ。)

それなりの分量のある「冊子」をコンサートの会場で配布するのは、大衆社会に「クラシック音楽」を普及・啓蒙しようとする20世紀の風習に過ぎず、どこかしらラジオ・テレビの「放送教育」をモデルにしているように思われるこのタイプの「普及・啓蒙」(プログラム冊子は、さながら、放送大学のテキストブックのようなものか?)は、ニューメディアと新体制の産物で、それ以前にはもちろんなかったし、それ以後(=21世紀)には廃れるのではないかと思われます。

(会場で立派な冊子をもらって嬉しい、というのは、「団塊」さんの学校・通信教育的なものへの郷愁じゃないかと思うんですよねえ。「生涯学習」……。)