2014-10-01から1日間の記事一覧
ちょっと勘違いしてらっしゃる発言を見かけたので書いておくと、バンドジャーナル創刊当時、雑誌におけるコンクールの扱いは今とは比較にならないくらいちっちゃいです。全国大会の結果・講評が全4ページとか、そんなもんです。事前の盛り上げ記事とか、そ…
朝比奈隆は大阪フィル創設以後、公式の数え方で37回(大阪フィルの欧州公演、北米公演、それから指揮はしなかったプラハの春音楽祭への招待を入れると40回)指揮者として海外へ出ているようだ。そして関西音楽新聞は、ごく僅かの何らかの都合による例外はあ…
どうやら、ものすごくたくさんの道具立てを総動員してかからなければならない大変なテーマに自分が足を踏み入れつつあるらしいことがわかってきて、どうしたものかと思っているのですが(しかもそれだけ大げさに色々やった着地点が「もういいかげん、キッチ…
もしその案件が、正当な理由のない教員の解雇なのであれば、そしてもしその教員に学ぶことを目的として在学している学生がいるのであれば、実害を被るのは学生なのだから、脅迫に屈することなく○○先生を支援する学生運動ってなことになるはずなんじゃないの…
小さなトピックはすぐに忘れてしまうのでメモしておくことにします。「関西楽壇」とでも呼びうるものが日本の音楽ジャーナリズムに出現するのはようやく昭和30年前後である、という感触がありまして、それは、武智鉄二の「悪名高い」(と朝比奈隆がのちに冗…
落ち穂拾いその2。 1982年、母に連れられて渡米、ジュリアード音楽院において高名なディレイ教授の下でヴァイオリンを学ぶ(入学オーディションではバッハの「シャコンヌ」を通しで演奏して審査員を驚かせた)。同年12月31日、11歳で、ズービン・メータ指揮…
朝比奈隆・大阪フィルは1984年4月の第200回定期でフルトヴェングラーの交響曲第2番を本邦初演していて、これを7月の東京定期演奏会に持っていったらしいのだけれど、この演奏会の批評を関西音楽新聞に柴田南雄が書いていた。 大阪フィルハーモニー第二十三回…