2016-06-01から1ヶ月間の記事一覧
週一回ペースで進めている芸術新潮の記事拾い。昭和34年になると、若手芸術家が海外に出てなかなか戻ってこないケースが出てきたことで、人材の海外流出を「亡命論」として憂う記事が出る。再独立で民間人の海外渡航がそれまでより容易になったことをスキャ…
一般に、業務の効率化とスピードアップは、「忙しさ」を濃縮することはあっても緩和することはない。=中年初心者が陥りがちな誤解と錯覚
自国の死者と他国の死者、という他者論よりも、太宰治と大岡昇平が同じ世代だ、という指摘が興味深く思われ、敗戦後論 (ちくま学芸文庫)作者: 加藤典洋出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2015/07/08メディア: 文庫この商品を含むブログ (3件) を見る処女作文…
people とは何であり、何を求め、どこへ向かおうとしているのか? 左翼やリベラルを標榜する立場は何よりもそこに注目するのが習い性なわけだが、地方自治とか帝国とかというのは、nation-state を分割したり、束ねたりする別のレイヤーがあるよね、という話…
昭和40年代の大阪労音機関誌「新音楽」(のちに大阪労音自体が新音楽協会という名称になる)で、オーケストラによるポップスコンサートが労音に定着する経緯が見えてきた。1965年10月B例会が「名曲によるポピュラーコンサート 第一回スラブ音楽」(森正指揮…
iPhone の音声入力は、優秀と喧伝される OK Google を含めて、現状では、指先で画面を突っつく触覚と視覚を組み合わせた入力方式より便利な場合がある、という程度の、相対的なインターフェースの優劣の話のような気がする。たぶんこれは、五感・知覚による…
共産主義と自由主義が「東」と「西」(どこを視点に東西を言っているんだ、ということではあるが)の「陣営」として nation-state が連携する感じになっていたご時世には、だったら欧州の国々も連携できるところは連携しておきましょうということになって、…
戦後関西の洋楽史を調べていると、私文書以上マスメディア未満の様々な中間団体・任意団体が発行した活字文書を読むことになる。実はそういう文書は今でも大量に存在して、たとえば、コンサートのプログラムノートとかいうのも、(ここ数年で急速に「マスメ…
論語とか、EECがECを経てEUになった経緯とそこでの英国のスタンスとか、地方自治と国政の関係とか、戦後日本の大学が大衆化したとはいえ、文系のまっとうな進学校で学んでいれば、高校でひととおり教わるよね。(共通テストという、解けるのが大学進学の前提…
建物には正面がある。お城や塔はどちらかを向いている。天に向かって伸びる宗教施設、というのもあるが、日本の人文は、長らくたぶんマスコミの方を向いて建っていたのだろうと思う。これからはどうするんだろうね。
大宅壮一は私の高校の出身だったりするわけですが、文庫がアナログから先に進めないのは、公共施設での資料の著作権についての現行法規の壁がありそうですね。出版業が情報産業に転換するのに失敗しつつあるこの島の現状の副作用という気がします。力のあるI…
アーカイブの危機を伝える文章が、ネット検索ベースで仕上げられている時点で、既に話か手軽ながネタ消費になりかけている。チームを組んで数年かけてアーカイブの全貌を調査して、その経過を売文して経費を稼ぎながら再生のプランにつなげる、という風に物…
tsiraisi.hatenablog.comこの件は、Verfremdungseffekte in der Chinesische Schauspielkunst と呼ばれているテクストがブレヒトの手元に残された草稿で、没後に遺稿集に収録されたものであるらしいことがわかった。日本語訳は千田是也が訳したブレヒト演劇…
というのを喚起するだけでは、たぶん、アーカイヴは存続できない。大宅文庫がかつては採算が取れたそうだが、それは、自社で自前のアーカイヴを持つ新聞社の記者クラブから排除された月刊誌週刊誌が取材・調査報道するときのインフラとして機能していたから…
Mimesis as Make-Believe: On the Foundations of the Representational Arts という書名を見て、「操作できる電子は実在する」(ハッキング)という言い回しを思い出したのですが、make believe は「ごっこ遊び」を指す熟語なのだとして、逐語的な「信じさ…
ベートーヴェンやブラームスまでのロマン派のホルンの替え管は、具体的に調べると本当に興味深い。どこがどうなっているのか、ナチュラルホルンで吹いてくれると、目で見ながらサウンドの変化を確認できますね。7番の交響曲は、両端楽章が高いA管で、第2楽…
阪大の2年の時に、今では何かの記念館になっているイ号館の一番上の部屋で大和物語の陰影本を読む授業を受けた。ベルリンの図書館の音楽部門には、癖の強い手書き資料を読む人達がいた。東洋でも西洋でも、人が文字を手書きしなくなったのはごく最近のことだ…
大阪市の大学では、むむ?と思うことを口走る人が変にめだっちゃったりするようだが、大阪市の図書館はとても使いやすいし、職員さんの雰囲気がいい。堅苦しくなくフェアに運営されている感じがある。まあ、図書館というのは、そういう風になっていないとお…
雑誌というメディアには、記事をバラして様々なキーワードで串刺し検索するのとは違う手法でアプローチしたほうがよさそうな特性があるようだ。*芸術新潮という雑誌は、創刊から10年、アヴァンギャルドな人々を好奇心満々に持ち上げる路線を進むが、昭和33…
いわゆるカルスタのことだが、そのように呼ばれるニューレフトの取り組みがマイクロポリティクスにお墨付きを与える護符であるかのように機能する状況は、堕落と呼ばれてもしかたがないのではなかろうか。「○○の誕生」式の議論は、むしろ、マイクロポリティ…
公的機関(の構成員)が使用料という名目で民間事業を援助するのは、補助金でその事業を延命させるのに似ている。しかし公的機関には、その事業がどのような価値を生成しているのか、ということを分析したうえで、そのような価値の生成が持続可能であるよう…
かつて全共闘世代がマオイズムを護持したのと同じ話法で、ミルプラトーやジャックアタリを持ち出す中年たちの政治性とは?
自宅の本棚では、知的生産とか整理法とかの自己啓発めいた本は文化人類学の棚に置いて、社会学や経済学の棚と分けている。ロックだけでなく、ポピュラー音楽研究は民族音楽学の棚に並べて、音楽以外のことを(ことも)扱うカルスタやポスコロの類とは区別し…
多数派が少数派のモードで語り、少数派が多数派のモードで語るSNSの闇試合。夏の風物詩なのか?
ロックが馬鹿を切り捨てた結果、馬鹿がどこへ向かうのか(=21世紀の哲学)。
「ロックは相対的に自律している」「大事なのはポップであって反体制ではない」そういう風に言い募り、ロックは安全だから大学でお勉強していいことにしましょう、とキャンペーンを張ったのは、のちにキラキラ化することになるロック研究者たち自身だ。……と…
あの黄色い幌について登場人物が誰一人何もツッコミを入れないまま小田原合戦が終わってしまった。関東編の「黙れ小童」もそうだが、ネタを仕込んでノーフォローなハードボイルドは、おそらく様々な事情が背後で絡まり合うNHKならではなのだと思うけれど、逆…
柴田南雄の1970年代の変質は、さしあたり作曲活動における路線変更、引用の織物として構成された「行く川の流れは絶えずして」や「追分節考」以後の一連のシアターピースがメルクマールになるわけだが、どうやらこれは、メタムジークが言われはじめた欧米の…
シクロフスキーの「手段としての芸術」は『散文の理論』の巻頭に収録されて、「非日常化」の訳語が用いられている。これは底本も日本語訳も、書かれている論旨もすっきりわかりやすい。(シクロフスキーはトルストイの小説などを引用して異化を説明しており…
秀吉がどうして最後に大陸に打って出たのかと考えたら、彼が重用した千利休は堺の商人で、なおかつ茶の湯という禅宗文化を身につけていたのだから、近世の意味での国際情報に通じたブレインだったんだろう、ということに思い当たる。堺の商人の茶の湯には、…