「時代の空気」への郷愁

というのを喚起するだけでは、たぶん、アーカイヴは存続できない。

大宅文庫がかつては採算が取れたそうだが、それは、自社で自前のアーカイヴを持つ新聞社の記者クラブから排除された月刊誌週刊誌が取材・調査報道するときのインフラとして機能していたからではないのだろうか?

そして、日本の20世紀が文化研究のフィールドになりつつあるといっても、自前でアーカイヴをもつ大学(新聞研究所とか)から排除された個人研究を寄せ集めるだけでは、到底採算が取れそうにない、ということなのでは?

(それが必要なのであれば、たとえば、学会の事務処理は民間代行ビジネスがあるようだし、情報サービスのベンチャーを誰かが立ち上げることを考えたらいいんじゃないか?)

研究者とアーカイヴ経営者の両方が、維持可能なモデルの構築に失敗しつつある例のような気がするし、「個人の幸せ」重視の団塊さんはこういう風な社会の設計・経営がへたくそである(地域創生がそうであるように、間にゲバルトからビジネスに転向した代理店さんに入ってもらわないと、この世代は何も出来ない)というのは、もう、一事が万事で、いちいち嘆いていたら切りがないので、さっさと次へ行きましょう。