2016-10-01から1ヶ月間の記事一覧

4倍速

これで空白が随分と埋まったので、お祭りの最後は派手な種で締めくくることにする。もはや戦闘を考えない単なる趣味だが。あと一日と少しで、こういう景色を目にする機会はなくなりそうですね。

「人文」は転向した放送作家を模倣する

宣伝(発信者に好都合な情報のオンライン伝達)という形で「即効性」を散々利用しておきながら、批判への応答といった発信者に不都合な情報のオンライン伝達においては沈黙や遅延が許される。要するにいいたいことだけ言いっ放しでいいじゃないか、という態…

劇場と興行と出版の分離

マイヤベーアのグラントペラはパリ・オペラ座の劇場運営に組み込まれた「システムの一部」であり、オペラ座の黄昏(もしくは劇場・興行形態の変容)とともに衰退した。ワーグナーのバイロイト劇は、おそらくグラントペラの「システム」に意識的に対抗する形…

符丁のTPO

小谷野敦が、落語家の楽屋の符丁を寄席好きのシロウトが通ぶって使うのは嫌なものだ、と書いていたが、落語だけでなく、劇場には、歌舞伎発祥で「八百屋」とか「ドンデン」とか、舞台関係者の符丁がある。日本だけがそうことをするわけではなく、おそらくオ…

アーカイヴは単数で考えねばならぬのか?

ある事柄に関するアーカイヴが単一で排他的なものである(のが望ましい)、という風に想定した場合には、そのアーカイヴが何かを捨てることは、捨てられたデータ(に紐付けられた事例)があたかも存在しないかのように闇に葬られることになる。でも、唯一の…

プレガルディエン

もちろんクリストフのほうです(笑)。シューベルトというと東独にはペーター・シュライヤーがいたけれどもフィッシャー=ディスカウが本を書いたり全集を作ったりしていて、こんな押しつけがましく説教臭いものではないはずだとピアノに目を(耳を)転じた…

きみに決めた

トカゲは朝の30分で解決。 収穫祭は海洋生物と親しむことにする。

町内会の回覧板

音楽学の機関誌、編集委員会からの依頼で書かれたと思しき文章群が酷い。力量のない人が編集担当になったときに、それを止めるしくみがないのは制度上の欠陥だ。値段を付けて売るレヴェルではないと思う。依頼原稿を止めるか、編集委員を入れ替えて欲しい。…

殿様のトカゲ

大泉洋が先週の嫡男決めのあたりから着々と「江戸時代のお殿様」な芝居を積み重ねているときに(座敷や縁側で少しずつメンバーを入れ替えながら短いシーンを積み重ねる段取り感が往年の映画・テレビ時代劇の様式特性だったんだなあと改めて思う)、一方の大…

サロンと酒盛りと「音楽のペテロ」

日本の社交は、いまだに「飲み会」という言い方で酒を飲むことを強調する傾向があるようで、この風習は21世紀にも引き継がれるのでしょうか、それとも、「人文」の衰退とともに、中年以上のおっさんだけがこだわる古い習俗になっていくのでしょうか。私が知…

陰謀論とイタリア・オペラ史とオペラ座の老人

「坂道を歩いて登るのは辛いなあ」 ↓ 「誰がこんなところに音楽ホールを建てたんだ(怒)」 ↓ 「きっと、私のような善良な市民に悪意を持つ思想集団のしわざに違いない。反日分子だ。排除せねば!」陰謀論が誕生する現場を目撃してしまった気分である。そう…

中村とうようと細川周平はどこかのリングで今も対立しているのでしょうか?

『音響メディア史』という本は、おそらく、地道に積み重ねた調査研究の成果を世に問うべくアウトプットする、という形で作られた書物ではなく、出版社や編集者から「何か書きませんか」と言われて、手持ちの(万全とはいえない)材料を著者たちが持ち寄って…

「箱根は自分のお金で……」

あそこで何も言わずに手を添えるの、悪くなかったと思うのだが、このシリーズは毎回何か言うんですね。脚本家さんの大切りコーナーを増設。大所帯のチームワークが長く続くと、どうしてもこういう風になってきますね。みんな見せ場を求めるようになるから………

ロシアのオペラ好き

メモを見直していて思い出したのだが、チャイコフスキーをイタリア・オペラと比較するとしたら、エフゲニー・オネーギンの第二幕のお誕生日パーティの最後がカルテットになるのは、中期ヴェルディっぽいのではないだろうか。でも、そのあと、男しか舞台に出…

敬称と肩書き、音楽と軍隊

ラグビーの平尾は同志社で「先輩も呼び捨てでいい」という方針だったそうだが、その精神で強い人間関係を目指すのであれば、敬称を略すだけでなく(たしかに山田治生のつぶやきを読み直すと「昨日はバッティストーニさんにお会いしました」式のなれなれしい…

説教芸術

落ち目の大学教員の説教はうっとうしいわけだが(「落ち目」についても「うっとうしい」についても、そうならないように自戒したい)、それとは別に、語り物のなかには説教芸・説教芸術というのがあるように思う。オラトリオは、まさに oratio の説教の芸能…

大学教員のための作文教室

研究者を自任する人は、研究上の己の立場なるものを意識しすぎて、依頼された売文が融通の効かないものになったりするようだ。役割意識が強すぎる大学教員の陥りがちな失敗その1である。そしてもうひとつ、原稿の依頼主・編集者の言うことを、あたかも学術…

つながらない音楽史

今やっている管弦楽史の授業は、チャイコフスキーとドボルザークとブルックナーとマーラーはみんな違う、という、つながらない音楽史になりつつある。ショスタコーヴィチとメシアンとブリテンは、もはや別の銀河かもしれない。音大の未来のオーケストラパー…

泣けるオペラと心躍るバレエとシューベルト

シューベルト、ブラームスのよろめき alla zoppa の話の続きだが、イタリア・オペラのレトリックがロマン派までの西欧の都市音楽(ほぼクラシック音楽)の共通の在庫(common practices)だったとしたら、バレエ・リュスのインパクトは、彼らの登場をきっか…

スーパー広報

ドクターXの設定を見ていると、テレビの制作現場の人たちが今どういう人たちを目の上のたんこぶと思っているかがわかる気がする。企業のコンプライアンスみたいなことがさかんに言われている世の中で、だったら現場を知っている人がトップに立てば風通しがよ…

シューベルトとブラームスの alla zoppa

ブラームスの第1交響曲第2楽章の弦楽器のシンコペーションの上で歌うObとClはシューベルトの未完成の第2楽章を本歌取りしているのだろうと前から思っていて、いつも授業でその話をしてきたのだけれど、これは未完成交響曲が alla zoppa (よろめき)の修辞を…

溶解 - 身体の消滅

堀朋平の本の登場人物たち(シューベルトとその友人)は、シラーからヘーゲルまでのドイツ哲学によって自らを語る言葉を獲得した(ドイツ・ロマン主義と観念論哲学は不即不離である)、という風に描かれていて、なるほどこれは東大美学・小田部ワールドであ…

ハイネ歌曲をどう見るか?

最後は着地点に苦労しているように思えた。中期のロマン主義はどこまで届いて、どこから先には届いていないのか、具体的には、ハイネ歌曲でシューベルトは何かが変わっているのか、変わっていないのか、そしてそのような変化(もしくは変わらなさ)には将来…

啓蒙と幻想

観念論哲学(教養)と関連づけながら19世紀前半のドイツ語圏の音楽を考えようとするときには、この対概念は、ナショナリズムという19世紀後半にせり上がってくる主題や、影響の不安という20世紀の文芸批評用語より、はるかに音楽に即して使い勝手がよさそう…

母をめぐって

「お前のかあちゃん、デベソ」と囃し立てられた少年の母が本当にデベソだった場合、私達はどうすればいいのか、というような話を蓮實重彦が書いたのは、私の記憶違いでなければ、彼が凡庸と愚鈍の差異を好んで書いていた時期の田中角栄についてのエッセイに…

全国漫遊批評における公務と私用の区別

芸術祭の審査員には、審査対象の公演に関して、プログラムに執筆したりプレトークに出演する等の行為はもちろん、事前に見解を個人として公表することも控えて欲しい旨が文化庁から通達される。どうやら、公演団体への補助金申請を査定する仕事に何らかの形…

クラシック音楽にも時は流れる

実際に、たとえば第1幕第2場の「手紙の場」の歌詞は、わずかの削除と補筆こそあるものの、原作の第3章・第31節の文章をほぼそのまま歌詞としたものである。 エフゲニー・オネーギン (オペラ) - Wikipedia 手紙を書いているうちに夜が明ける、というのは、プ…

実存なのか立ち位置なのか

やっぱり吉田寛はポケモンGOが嫌いなのか……。(彼は、元来が学者気質なのにジャーナリスティックなあれこれについ口を挟んでしまう、というのではなく、ジャーナリズムに行きそうなうさわ好きの軽い男が諸般の事情で学者をやっているケースではないか、とい…

小物感

ロックは芸術(もしくは芸術を愛好するスノッブ)への反抗だ、と言うのであれば、芸術に対して授与されてきた賞をシレっとロックに与えて、賞の延命を図ろうとする北欧の財団を叱ればいいのに。頭を撫でられたら尻尾を振って、そのうえで、媚びる姿を写真に…

リベンジの構造:19世紀の私憤と20世紀の私怨

私小説や自然主義リアリズムもそうだろうし、ベルリオーズが失恋体験を標題音楽に昇華する、というように、近代のロマンチシズムがモダニズムにつながっていくラインには私憤を公憤に接続する回路が装填されていて、ワーグナーもおそらく私憤の塊だったのだ…