2017-11-01から1ヶ月間の記事一覧

17、18世紀のオペラにおける宮廷歌手と劇場歌手と喜劇役者

今年のオペラの歴史の授業は、水谷彰良『プリマ・ドンナの歴史』を参考にしながら、歌手のプロフィールと作品の特徴を付き合わせることでオペラの歴史を考え直そうとしております。たとえば、フィレンツェのカメラータのエウリディーチェではローマから来た…

ペダル・トレモロ・高音域 - グラントペラ時代のピアノの技術と効果

小岩信治「ピアノ協奏曲の誕生」のリトルフの章を学生さんと読んでいて、学生がこの章の筋立てをつかみにくそうにしていたので、一緒に考えているうちに、そういうことかと思いついた。この章はピアノの改良が協奏曲のピアノ書法を変えて、その到達点として…

大澤壽人はウルトラモダン(近代の超克)ではないし、フランス派でもない

片山杜秀がゼロ年代に大澤壽人を市場に投入したときに、世間は大澤壽人を「知られざるモダニズムの最終兵器」、いわば、零戦や戦艦大和(戦前の日本の近代化の到達点であるにもかかわらず敗戦によって海の藻屑となった悲劇のヒーロー)の音楽版みたいな位置…

日本歌曲と日本の詩歌の歴史

日本の詩の流派を「浪漫派」とか「シュールレアリズム」とか、欧米の芸術運動になぞらえて分類するのは、それぞれの詩人の立ち位置を考えればそういうことになるのだろうけれど、ドイツやフランスの歌曲と比較しながら日本歌曲を勉強するときには、むしろ、…

メディア論、エクリチュール論と北大西洋条約機構

世紀前半のアメリカニズムの総仕上げみたいな感じに視聴覚メディアが普及して、「書き言葉」=出版文化の地位を揺るがす可能性が見えてきたところで、お隣のカナダのしかも工業化で潤ったフランス語文化圏という微妙なポジションの司祭が、カトリックを「声…

メタモ

ポストモダンが「ポモ」だとしたら、メタモダニズムはメモなのだろうか。「メタモ」のほうが、体脂肪率の高くなりすぎてダイエットが必要なモダニズムの終末期、という感じでいいかもしれない(=流行るまえに先回りして略称を考えてしまうメタモダニズム言…

詩を歌う vs 歌詞が楽曲に従属する

JASRACは歌詞なる言葉の連なりを楽曲に従属するその一部として取り扱っているらしいのだが、詩を歌う、とか、詩に曲をつける、というとらえ方と、歌詞が楽曲に従属する、というとらえ方の違いは、かなり広範囲に影響が及ぶ大問題なのではなかろうか。ここ数…

官僚とポストモダン

前の一連のエントリーのアイデアを暫定的にまとめるとしたら、官僚やその補助学としての高等教育関係者各位には、「官僚的」に(=エセ教養主義的な「なんちゃって治者」として)ポストモダンと戯れて心のバランスを保とうとするよりも、粛々とモダニティ(1…

19世紀半ばの構造転換

ハーバーマスの言う「公共性の構造転換」は、既に19世紀終わりのドイツ帝国あたりから初期近代の「対話的公共性」は機能しなくなったという話だったはずで、だからあれば、「音楽の現代」は19世紀半ばの第二帝政期にはじまった、というフランス文化史で言わ…

東大法学部的なもの

大学院改革の過渡期に、新制度に乗ってまず博士号を取得した者と、旧制度を利用して博士号取得を待たずに研究職を得た者が併存したのは、要するに、過渡期だからそうなるのもしょうがないし、その後、順当に新制度が軌道に乗るにつれて、当初は「抜け駆け」…

フランスのオルガンと「長い19世紀」

ドイツのピアノ音楽はクララ・シューマンを中心に据えると読み解くのが容易になる、という思いつきに続いて、フランスの鍵盤音楽は、まず何よりも、カトリック教会が王党派や共和主義者と同じくらい強い国におけるオルガンの伝統、「19世紀のオルガン」に着…

恩師に忖度

そういえば前回京都で音楽学の全国大会があった時には当時の礒山会長がシンポジウムに登場して、今回も会長の出るシンポジウムがあった。いずれも関西在住の弟子の企画だ。まるで西田敏行をよいしょするドクターXの3人のタカシのような振る舞いだが、阪大の…

実用演奏譜と研究譜・批判原典版は対立しない

音楽史の授業で、ウィーンの建築の歴史主義とブラームスの教養主義の同時代性という岡田暁生のウィーン論あたりに出てくる話を紹介して、ヨーロッパの音楽は、ほぼ19世紀半ばに、個人の営みではなく、学校・常設楽団・作曲家全集といった制度で維持する社会…

多元方程式:音楽劇と音楽分析の現在

音楽劇は、言葉(語り)と歌、音楽と演劇、意図と効果、創作と受容、構造と演出(修辞)、物語とドラマ、個人と集団、芸術と政治、といった数多くの変数が組み合わさった多元方程式のようなところがあって、そこが面白いし、そのことを知れば知るほどワクワ…

組織の合理化と「組織の顔」

組織の合理化でムダを省こうというデフレ・マインドの最終局面が津々浦々に浸透しているのが現在の状況で、組織の合理化とは、ヒトをマシンの部品として活用することだから、組織は、ヒトの集団ではあるのだが、集団としての「意志」をもつことはなく、何者…