19世紀半ばの構造転換

ハーバーマスの言う「公共性の構造転換」は、既に19世紀終わりのドイツ帝国あたりから初期近代の「対話的公共性」は機能しなくなったという話だったはずで、だからあれば、「音楽の現代」は19世紀半ばの第二帝政期にはじまった、というフランス文化史で言われる話と同じことだと思う。小岩信治の言う「ピアノ協奏曲のスタンダードの終焉」、ブラームスとサン=サーンスで音楽における「教養主義」が確立した、という見立ても同様の転換の話だろう。

美学的な言い方をすると、18世紀から19世紀にかけて「美しい諸技芸」が定冠詞のついた単数形の「アート」に再編されるときに要請された「天才」という観念が、既に19世紀の半ばには事実上失効していたのではないか、ということだと思う。蓮實重彦なら「凡庸」と言うのだろうけれど、「教養」という概念は「勤勉」と相性がよくて、「勤勉」なる「凡人」たちがなしとげた「業績」を前にして、「天才」は、一方のビジネス上の特権(著作権)と、芸術至上主義的な奇人=ダンディに分解する。

近代の天才概念が大陸的なオーサーシップを法的に基礎付ける、というのが長く法学の定説だったらしいけれど、それは「長い19世紀」がその内部で構造の転換・組み替えを成し遂げていることが注目されていなかった「短い20世紀」のバイアスがうみだした神話ではないかと思う。

19世紀をよくもわるくも一枚岩と見てしまうと、20世紀を語るスタンスまでもがおかしくなる。

21世紀の歴史的なセンスとして、このあたりが結構重要になってくるんじゃないかという気がします。

さてそして、このように世紀の真ん中あたりで何かが組み変わったと思われる19世紀の世俗領域と、2つ前のエントリーで書いたようにオルガンが演奏され続けて、スペイン・ソレム派のグレゴリオ聖歌への取り組みがローマでオーソライズされたり、チェチリア運動がドイツで起きるカトリックの19世紀は、順接するのか逆説するのか。

世俗領域と宗教領域の連立方程式に、フランス第三共和政はひとまず「政教分離」という解を与えて、音楽分野ではオルガンと早々と縁を切っていたかに見えるドビュッシーやラヴェルがスターになっていくわけだけれど、事はそれですっきり片付いた、というわけでもなさそうですよね。

1930年代にメシアンが登場して、プーランクのような在野のピアノ好きがオルガンや教会に(第二次世界大戦中に)急接近するのはどういうことなのか。

「短い20世紀」はそろそろ終わりそうだという頃合いになって発表されたメシアンのオペラが、まもなく日本で(演奏会形式なのが残念ですけれども)上演されようというときなので、このあたりのことを一度整理しておくのも悪くなさそうに思います。

公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究

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音楽の「現代」が始まったとき―第二帝政下の音楽家たち (中公新書)

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帝国の陰謀

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凡庸な芸術家の肖像 上 マクシム・デュ・カン論 (講談社文芸文庫)

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物語批判序説 (中公文庫)

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ピアノ協奏曲の誕生 19世紀ヴィルトゥオーソ音楽史

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十字架と三色旗―もうひとつの近代フランス (歴史のフロンティア)

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プーランクは語る―音楽家と詩人たち

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……というのは、前から少しずつ考えていることで、今は、ユダヤの王ダヴィデがジョスカンの詩篇モテットやドイツの詩篇歌集出版でにわかに脚光を浴びて、近代になるとシューベルト、メンデルスゾーン、リストからレナード・バーンスタインまで、カトリック、プロテスタント、ユダヤ教にまたがる作例があるような、詩篇の朗唱と詩篇への作曲の歴史を大急ぎで調べているのですが。そして、フランスにおけるオルガンがせいぜい1990年代的なナショナリズムの参照項なのだとしたら、詩篇の音楽は21世紀のグローバリズムを視野に収めて考えないといけない素材だろうなあと思っていますが。

詩篇の音楽 旧約聖書から生まれた音楽  寺本まり子/著

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ウィキペディアによると、詩篇23番「神は我らの牧者」は、映画「エレファント・マン」や「戦場のメリークリスマス」でも唱えられていると言うではないですか。