2016-11-01から1ヶ月間の記事一覧
「大阪にラテン音楽を!」の井上道義が大阪フィルにいてくれると2018年の大栗裕生誕100年に好都合じゃないかと漠然と(&勝手に)思っていたので、やや梯子を外された感はありますが、井上道義がワンポイント・リリーフなのは、常任指揮者等の肩書きを固辞し…
瞬間の効果に固着するか、さもなければ全体の粗雑な把握以上に踏み込めない、という症状は、両者をつなぐ決定的な細部を探り当てていないピントはずれの饒舌なわけだが、決定的な細部を見つけられるかどうかは運や才能や偶然の問題なのだろうか。それとも教…
有機化合物 organic compound に生命の神秘が宿るという18世紀以来の自然哲学は、21世紀を生き延びることができるのだろうか? セレブリティの永遠のアイドル、プチ・トリアノンのマリー・アントワネットを連想させてしまうわけだが。マリー・アントワネット…
文系学部談義が相変わらず荒れているようで、この話題が、乱世にしか生きられない戦国武将の残党みたいな人たちのレゾンデートルになりかかっている様子にうんざりするわけだが、とりあえず、LとGの話は、技術といっても生存のための技術と、統治のための技…
バトルに参加する気がない者にはほとんど意味がないけれど、手元にメタが4匹いる。同じ場所からそれぞれ2匹ずつなので、出るところからは何度も出て、いないところにはいないんだろう、ということで私は納得しているのだが、メタに関して、ポケモンGOでは珍…
ウォークマンと音楽専用ホールに代表される「ニッポンの洋楽1980s」は、重化学工業による世界的高度成長が達成された第二次世界大戦後の国際市場に繊維産業(軽工業)で船出した戦後日本の音楽文化領域における反復と解釈できるのではないか、という想念に数…
いま鳴り響いている音を自分の耳で聴いて判断できない者の言葉が硬直していくのは哀しいことではある。かつて〇〇さんが△△を絶賛したのを記憶にとどめて、その言葉の記憶を既に〇〇さんが一線を退いた今も反芻して更新しないのは、南洋の島に潜んで太平洋戦…
先端研究の語は advanced research の訳だと思うが、先端という日本語は、eperons の題を掲げてニーチェを読む批評を連想させる。 尖ったもので板を引っ掻くstyle の話だ。先端研究の語の再英訳としては、stylistic research がいいのかもしれない(=脱構築…
トレンディドラマは学校が舞台であっても教育がテーマにはならなかったし、どうやら、学校における恋愛、というのも80年代(以前)には描かれなかった気配がある。中学生が愛し合うのは、清く正しく美しい青い山脈はもちろん、金八先生でも学校を揺るがす大…
「ロンバケ」とか「ラブジェネ」とかの略語は、ヒットしたドラマをテレビ雑誌で書くときによく使われていたようだ。おそらく制作側のスタッフ、広報の使う業界/ギョーカイの語法がジャーナリズムに伝播したのだろう。だとすると、この種の略語をクラシック…
月9 101のラブストーリー (幻冬舎新書)作者: 中川右介出版社/メーカー: 幻冬舎発売日: 2016/10/28メディア: 新書この商品を含むブログを見る織田と有森と江口の役柄を愛媛の「同郷」という風に言うのでは不十分で、3人はただ同郷なのではなく、同じ学校の同…
月9 101のラブストーリー (幻冬舎新書)作者: 中川右介出版社/メーカー: 幻冬舎発売日: 2016/10/28メディア: 新書この商品を含むブログを見るドラマ本編で主題歌が鳴る、というのは「月9」の文法なんですね。番組が佳境に入ったところでオフコースやチャゲア…
仕事で話すことに疲れた者はネットで他人の話を聞くことを喜び、聞くことに疲れた者はネットで話すことを喜ぶ。だが話すことと聞くことの間に貴賎はない。貴賎という価値を導入したがる者は、高貴ではなく、高貴に憧れる成り上がりである。
ショスタコーヴィチの1番は、まあ、ありかもしれないけれど、ショパンをどう評価するか、だと思う。(内田光子も90年代に小澤&サイトウ・キネンと共演したベートーヴェンはキツい。色々なことが露呈している。あの頃は、小澤も「老い」の兆候が見える辛い過…
人文学にとって、教養市民の後継である彼らは自らの基盤だが、音楽家からすれば、おそらく彼らは有力な顧客候補のひとつに過ぎない。絶対音楽論は、劇場が日常的に反復可視化するこのような反転を抑止隠蔽してしまう。
書き忘れていました、11月19日シューベルトの命日に、京都で「美しき水車小屋の娘」の演奏会のプレトークを務めさせていただきました。堀朋平さんの本が出たおかげで、シューベルトについての知識を劇的にアップデートできたことをかみしめる機会となりまし…
今は改組されてその名称がなくなったけれど、阪大文学部に美学科が設置されたとき、音楽学専攻は、公式には、山崎正和の演劇学専攻とあわせて「音楽演劇学講座」を構成していた。私は、履歴書的には「大阪大学美学科音楽演劇学専攻卒業」ということになる。…
今度、査読論文を投稿する機会があれば、先方から届くことになるであろう査読結果の文章を添削して返送する、という作戦を敢行したいものだと思っている。「貴編集委員会から送付された査読結果の文章は、以下の点に不備があります。学術研究の場に粗悪な事…
柄谷行人「探究」が当時どう人を惹きつけたのか、小谷野敦がうまく書いている。文章読本X作者: 小谷野敦出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2016/11/16メディア: 単行本この商品を含むブログを見る院生仲間と飲みにいって、酔った勢いで「柄谷行人のよう…
私の考える平成日本音楽学会史が阪大・東大・東京芸大という3つの国立大学を軸に展開する構図だとしたら、私にそういうことを考えさせるきっかけになった大栗裕の音楽物語は、関学・慶応・同志社・京女といった昭和後期の私立大学サークルの音楽文化に光を当…
日本楽理の横顔をざっとスケッチしたところで、その周囲との位置関係を考えてみる。(余談だが、先の学会での留学生による涼宮ハルキ論は、コンテクスト/パラテクストというフランスの議論を輸入した北米ポストモダンの枠組を使おうとしていたが、テクスト…
ということで、堅苦しい日本楽理のお作法へのおつきあいは年に一度、準備期間を含めて一週間くらいで十分でしょう。近代的な音楽研究には西洋でも日本でも既に100年の蓄積があって、基本部分や古典については今から画期的に新しいことが見つかることはなさそ…
一次資料の発掘と分析、というのは、日本楽理の得意技である。フローベルガーの第一人者、とか、バッハ研究所勤務、とか、ということは、日本楽理の社中では周囲を跪かせるオーラになる。(その当人は現場で揉まれていらっしゃるに違いなく、必ずしもご自身…
承前。東京芸大楽理科と音楽之友社が接合することで生成されるに至った「日本楽理のエクリチュール」とでも呼ぶしかない言語実践が、歴史的事象として存在すると思うんですよね。ちょうど、芸大和声に似た機能を果たして、戦後日本には、音楽(主に洋楽)に…
私は、日本音楽学会という団体の歩みを、20世紀後半日本の洋楽史の一部だと捉えています。当然そうなりますよね。大学のサークル活動が歴史記述の一部であるのと同じ資格で、大学教員たちの課外活動としての学会運営も歴史を形成している。それは、コンヴィ…
なるほど論文の査読に相当するものを口頭発表について設定するとしたら、コメンテイターですね。そういえば(東日本等がどうなっているのか知らないが)、西日本支部は例会のすべての発表についてレポーターを置いて支部通信にレポートが掲載される。あれは…
もし司会者が口頭発表をコントロールしたいのであれば、発表者が司会者に挨拶に出向くのではなく、司会者が発表者の楽屋に挨拶に来るのが筋だろう。口頭発表において、主役は発表者であり、司会者はスタッフせいぜい脇役なのだから。そしてスタッフや脇役が…
大栗裕については事実の裏付けのあることしか書かない、という縛りをわたくしは自分に課していますが、大栗裕というおっさんは、いわゆる「抽象化」(華麗なる前衛実験音楽のような)とは違って、「ゴキブリのように地を這う」(娘さんが「パパの音楽」のこ…
会場を提供してあげるのだから大会の運営は私の思うがままにさせてもらう、というようなお殿様気分の先生が台頭してしまったり、助成金が欲しければこれこれの条件をあなたたちの団体が満たしてくれなければ困ります、という話法で介入する行政統治機構に支…
compete の原義は「共に探す」なのだそうで、まあ、concertare の語義は、競う、協力する、どちらとも言えそうだ、というのと似た話(concerto の起源を語るときの言い古されたネタ)なのでそれはいいのだが、compete であれ、concertare であれ、それは競技…