2016-05-01から1ヶ月間の記事一覧

「口」的機械としての言語

話し言葉、自由な会話を言語の基礎とみなすのは、韻文と散文というような従来の言語観を食い破る発想だったのかもしれない。ただし、視覚における写真や映画やテレビジョンを「網膜的」、聴覚における電話やラジオや蓄音機を「鼓膜的」と呼べるとして、20世…

全否定から全肯定へ、消費の。

それは全共闘な糸井重里が歩んだ、いつか来た道かもしれない。大学による広告の模倣。否定、肯定、生産、消費、なんでもいいが、「全」への執着がヤンキー村を作る。

河岸段丘

という言葉を今年は覚えた(=タモリから真田へ大河の地学)。

制度論

東京芸大には優秀なスタッフが揃っているのだろうし、それは昨日今日のことではなく、もしかすると、桐朋あたりの私大が国際コンクールの入賞者を輩出してマスコミを賑わせて、生徒をたくさん集めていた頃から既にそうだったのかもしれないけれど、外から見…

外来語の効用

そういえばドイツ語の(まともな)論文では、musica とか beaux arts とか、外来の概念を原語のまま埋め込んであることが多い気がする。新聞やテレビでも、気取った感じにフランス語が混ざったり、最近の風俗を語るときには普通に英単語を交ぜていた記憶があ…

たぶん電波は「網」ではない(2)

電波は、農業由来と思われる散布 broadcast の技術として運用されており、近代の都市整備が発祥の水道・ガス・電気のような網 network を形成しているわけではない。この区別は、色々応用が効きそうだ。(1) 蓮實重彦がテレビ嫌いなのは、生粋の都会人で、農…

放送と農業:たぶん電波は「網」ではない

AP

Audible Past の第5章は、音響再生産技術に対する人々の信頼がどのように形成されたか、という、「社会性」を取り扱おうとしているようで、だからこそ導入部で価値形態論風の議論が呼び出されているのだと思うのだが、後半はちょっと食い足りない。電話やラ…

物語の算術、記号の代数、文化の測量

virtual の語を意識しながら「虚構の時代」という言葉を東大教授が流通させた20世紀末は、傍目には教養部表象文化が「ヴァーチャル派」、文学部美学が「フィクション派」だったように見えていたのだから、「フィクションという名のヴァーチャル」というキメ…

窓と扉(2)

2015年は、ひとつの施設の扉を開いて、もうひとつの施設の扉の内側へと一群の資料を移動する作業にかかりきりになって、その経緯を「学者」と呼ばれる人たちの組織で報告するべく、会議室の扉を叩いたわけだが、そのように多くの「扉」を出入りした結果わか…

窓と扉

ヴァーチャル・ウィンドウ―アルベルティからマイクロソフトまで作者: アン・フリードバーグ,井原慶一郎,宗洋出版社/メーカー: 産業図書発売日: 2012/07/28メディア: 単行本 クリック: 13回この商品を含むブログ (4件) を見るこういう感想だけを書くと理不尽…

揺れと賭け

関東大震災が日本の保険制度の整備、発展を後押ししたことは、少し前に流行った地震関係の書物を読んで知っていたが、震災直前の1923年春に、旧競馬法で馬券が合法化される、ということがあったらしい。モダニズムの根無し草感覚が賭けと相性がいいのは直感…

「新しさ」の20世紀と「リバイバル」の20世紀

大学へ行く途中にこれを買って行き帰りの電車で読む。黄昏の調べ: 現代音楽の行方作者: 大久保賢出版社/メーカー: 春秋社発売日: 2016/05/18メディア: 単行本この商品を含むブログ (1件) を見るなるほど、芸術として新しくあろうとした人々の営みをピックア…

physicalではないもの

ある事柄が physical なのか metaphysical なのか、というのは認識論だが、それは physical であるか virtual であるか、という問いは行動・実践・倫理の問題なんだろうと思う。オーソドックス過ぎる仕分けかもしれないけれど。ある種の optical な像が virt…

天使は世界に先行する

ハイドン「天地創造」は、創世記とミルトンがネタ元であろう、と何を読んでも判で押したように書いてあるのに、少なくとも日本語文献では、どうして天使たちが天地創造を語るのか、どうしてこの3人の天使なのか、ということについては、誰も何も言っていな…

カラダが資本

帰宅する代わりに、身体を職場に留め置いてヴァーチャルな自宅の映像を見続けさせられた場合、これは、その人が会社から解放されずに、その映像を見る名目で身体を拘束されているわけだから、残業とみなす、ということで大丈夫……なんですよね?(=ゲームが…

定点観察

午前中と、正午過ぎ。ズームで画質は落ちるけれど、トリミングなしでこれくらいが iPhone の限界か。

21世紀という現代:資本の節度と情報の節度

市場経済を現行のしくみで回していくと、どうやら、資本は偏在して蓄積されていく性質を帯びてしまう。そして成長が頭打ちになることが予想されるので、再配分の回路を人工的に作っておいたほうがいいらしい。というようなことがおおむね言えそうなのだとし…

その可能性の周縁

不平等との闘い ルソーからピケティまで (文春新書)作者: 稲葉振一郎出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2016/05/20メディア: 単行本この商品を含むブログ (4件) を見る 剰余価値の搾取(生産に投下される価値よりも仕入れ値を低く抑えることで利潤を得る構造…

磁気テープ嫌い

瀬川昌久自選著作集1954-2014: チャーリー・パーカーとビッグ・バンドと私作者: 瀬川昌久出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2016/01/22メディア: 単行本この商品を含むブログを見る付録の蓮實重彦との対談、後半は、言うことがなくなって、20世紀前半は…

アナロジーの彼岸:「脊髄反射」と信用取引

2015年の日本語ツイッターワールドは「政治の言葉」が乱れ飛ぶ騒々しい仮想の広場(virtual agola?)だったが、2016年にはそれらがあっという間に退潮して、商品の売り手やイベントの主催者が効率良く集めた「生産者の肉声」ならびに「消費者の反応」を散布…

前期と後期

千葉雅也は「前期ハスミン」っぽいのかもしれないけれど、後期蓮實重彦はどこかしら輪島祐介を思わせる。東大人文ウォッチングは、哲学を神のいない時代の宗教にしようとしたヘーゲルにいつまでも固執して、ヘーゲル右派とかヘーゲル左派とか言っていた19世…

イチモツの周囲の言葉の配置

この島の市民社会は天井と床が抜けているのかもしれなくて、公人が公器を公然と駆使する行為はアンタッチャブルである、ということを市民社会は法制度として裏書きしてしまっているようにも見えるし、その反作用のような形で、それを私人の私闘として捕捉す…

公人の公器

が無際限に好奇関心の対象として弄ばれるべく陳列されている、というような公共観は、国民としての人権を認められることなく存続している御一族を国家元首に定める制度と、かなり似ている。

2016年のイチモツ

受賞を機に、みそぎは済んだとばかりにイチモツを振り回す元東大生vsイチモツを振り回して受賞して、あとはノーコメントの元総長「飛び散ったものは、全部自分で掃除してくださいね。大江さんを見習って!」

老人の官能小説を叱る愛国青年将校たち

買ったままずっと置いてあって、今夜も読む時間はないか、と思ったが、案外どんどん読めてしまった。元総長のモラルやパフォーマンスを問題にする人たちが、新潮に掲載された小説を読んでいないのは間違いないよね。こういう小説を書いておけば誰も正面切っ…

終わりのはじまり

ベートーベンがピアノの改良を熱心に追いかける人だったのをパソコンオタクにたとえる、というクリシェが世紀転換期の日本語の音楽書で反復されてきたが、個人の情報端末の主役がスマホに移行して、デスクトップは仕事のコンピュータいわば事務機器の位置づ…

音楽と批評と東大

ハスミは。小説より大谷能生が絡んでいるこっちの対話が本命だろう。瀬川昌久自選著作集1954-2014: チャーリー・パーカーとビッグ・バンドと私作者: 瀬川昌久出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2016/01/22メディア: 単行本この商品を含むブログを見る蓮…

共鳴という比喩を警戒する

猫に小判、釈迦に説法だとは思うけれど、物理学で言う「共鳴」はかなり特殊な現象で、例えば、管楽器はリードなどの発振体と管内の空気が特定の周波数で共鳴する現象を利用しているが、「音響再生産」の技術との関連で言うと、集音部(マイク)にしても、発…

蓄音と蓄光

「音を受ける」ことは「音を出す」ことだとすると、蓄音機(gramophone の語に「蓄える」の意味はないようだが)は in と out の間を一時停止しているに過ぎないイメージなのか? もし同様に、「光を受ける」ことは「光を出す」ことだと言えるとしたら(光も…

virtueの周辺

結論を先に言ってしまうと、「新人類の80年代」は、virtual な時代だったかもしれないけれど、当時のオトナたちが憂慮するような imaginary への耽溺は、むしろ希薄だったような気がする。だからこそ、90年代の imaginary なものの逆襲に足下を救われた、と…