2016-05-31から1日間の記事一覧

「口」的機械としての言語

話し言葉、自由な会話を言語の基礎とみなすのは、韻文と散文というような従来の言語観を食い破る発想だったのかもしれない。ただし、視覚における写真や映画やテレビジョンを「網膜的」、聴覚における電話やラジオや蓄音機を「鼓膜的」と呼べるとして、20世…

全否定から全肯定へ、消費の。

それは全共闘な糸井重里が歩んだ、いつか来た道かもしれない。大学による広告の模倣。否定、肯定、生産、消費、なんでもいいが、「全」への執着がヤンキー村を作る。