シューベルトに魅せられた人々、受容史の万華鏡(2023年版)

(東京交響楽団「SYMPHONY 2008年4月号」に寄稿した同名のエッセイを2023年の視点から加筆・改稿)

 シューベルトはヨハン・シュトラウス父子と並ぶ生粋のウィーンっ子、古都の秘蔵っ子として愛されているが、小鍛冶邦隆が『作曲の思想』で「悔悟するペテロ」と評したように、人なつこい外見の裏に未完成交響曲や「冬の旅」の荒涼とした闇が口を開いている。同主長短調のポジとネガのような反転は、優しさと孤独が背中合わせであることの端的な表現に聞こえる。しかも31歳で生涯を終えてから10年以上、重要な作品が埋もれていた。没後の評価を含めてのシューベルトであり、実像と後世の虚像を簡単には切り分けられない。以下、その概略を復習してみよう。

●「歌曲王」とビーダーマイヤー

 フランツ・シューベルト(1797〜1828)の父親はウィーン近郊で小学校長を務める名士で、フランツ少年は王宮礼拝堂の合唱団員に選ばれて、宮廷音楽家サリエリから特別レッスンを受ける優秀な生徒だったが、ナポレオン戦争後の不景気もあり定職が見つからず、友人の家を転々とする。
 ただし歌曲や舞曲、ピアノ小品は生前にウィーンで順調に出版・演奏されていたことがわかっている。岡田暁生は片山杜秀との「ごまかさない」対談で、三大歌曲集の「失恋する私」を「弱さをウリにするナルシスティックな男」と一刀両断するが、この弱々しい自己愛はドイツ文化史で言う「新興市民の微温的ビーダーマイヤー」なのか、凡庸を嫌うロマン主義の価値反転なのか。そして交響曲やソナタを書き続ける諦めの悪さは、弱々しい自己愛と順接するのか逆接するのか。シューベルトの「実像」のわかりにくさは、このあたりに帰着する。

●ロマン主義の熱狂

 シューマン、リスト、ベルリオーズなどシューベルトの没後1830年代にデビューした若い世代の態度は明快で、彼らはロマン主義の名の下に、シューベルトを独創的な「器楽」の先駆者として評価した。
 リストは歌曲のピアノ・トランスクリプションを量産して、「さすらい人」幻想曲を華麗な協奏曲に作り替え、ベルリオーズは「魔王」を管弦楽伴奏に編曲した。歌曲から言葉を引きはがし、圧倒的な超絶技巧や極彩色の楽器法でシューベルトを「絶対音楽」「言語を越えた王国」に迎え入れる。ライプツィヒでは、シューベルトの「大ハ長調」交響曲発掘・初演(1839年)に関わった2人が、「大ハ長調」と同じように金管楽器の主題ではじまる「春の交響曲」(シューマン、1841年)と交響曲カンタータ「讃歌」(メンデルスゾーン、1840年)を書いた。パリのドイツ派、ドイツのベートーヴェン主義者は、いずれもシューベルトに敬意を払った。
 ブラームスが「未完成」交響曲初演(1865年ウィーン)の11年後に完成した最初の交響曲の第2楽章に、「未完成」第2楽章を思わせる虚ろなシンコペーションを忍び込ませたのは、恩人シューマンをなぞるかのようで微笑ましい。「ベートーヴェンのあとで何が書けるか?」 - 「影響の不安」を乗り越えるにはシューベルトのDNAが必要だった。

●最後の「古典派」

 1850年没後100年目のバッハ全集を皮切りに、19世紀後半、ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社は大作曲家の作品全集を次々出す。シューベルトの作品全集は生誕百年の1897年に完成した。
 ブラームスは傑作と凡作をいっしょくたにする「作品全集」という出版形態に懐疑的だったとされるが、案の定、量は質に転化する。室内楽や宗教音楽の全貌が知られて、シューベルトの評価は、「ロマン派の先駆者」から「最後の古典派」、ベートーヴェンに匹敵する「本格派」へと塗り替えられた。そして「シューベルトはロマン派か古典派か」という果てしない議論がはじまるのだが、「古典的vsロマン的」のヘーゲル風観念論はともかく、シューベルトが18世紀の音楽文化と地続きの素養を持っていた可能性は考察に値するだろう。寄宿学校時代にサリエリの個人指導を受けたとき、その場にどんな楽器があったのか。フォルテピアノかチェンバロか、あるいはクラヴィコードだったのか・・・。ヴァイオリンとクラヴィアが親密に語り合う初期の愛らしいニ長調ソナタ(二つの楽器は室内楽としても異例なほど「距離が近く」感じられる)や、指先が鍵盤上を転げ回る変ホ長調の即興曲(指先で愛でる無窮動のミニチュア感はショパンの即興曲につながる)は、ずんぐりしていたと伝えられるシューベルトの体型だけの問題ではないかもしれない。

●実証と分析

 19世紀の「大作曲家」の作品全集(いわゆる「旧全集」)はケルンの大聖堂やベルリンのフリードリヒ大王馬上像と同根で、「音楽の国」ドイツ帝国のナショナル・アイデンティティの誇示(吉田寛)と総括されても仕方がない面がある。
 一方、第二次大戦後に出版社と研究機関が総力をあげた「新全集」は、CERNやNASAの大規模プロジェクトを連想させる。O. E. ドイチュの一連の「ドキュメント」は、足で稼ぐ犯罪捜査に似た実証主義の極みだが(楽譜の年代特定には新バッハ全集でおなじみの筆跡鑑定・透かし調査が威力を発揮)、膨大なデータを蒐集したのは、その先に19世紀的観念論とは水準の違う理論的・美学的「発見」があると信じられていたのだと思う。
 事実、新シューベルト全集の編集主幹W. デュルは、「声楽における言葉と音楽には不可避的なズレがあり、それが声楽に豊かさをもたらす」という主張を言語学で補強しながら展開して(『19世紀のドイツ独唱歌曲』『言語と音楽』)、音楽評論家K. シュトゥッケンシュミットからベルリン工科大学音楽学講座を引き継いだC. ダールハウスは、「主題的コンフィギュレーション」というドライな言い回しでシューベルトのト長調の弦楽四重奏曲を分析した。極端に鋭い付点リズム、ゼクエンツ風の半音下降、同主和音への反転などの特徴的なパラメータの束が、まるでデジタル機器の「カスタム設定パネル」のように舞台裏で楽曲を制御しているという見立てである。この分析はダールハウスが準備中だったベートーヴェン論(『ベートーヴェンとその時代』)の副産物で、後期ベートーヴェンとシューベルトがほぼ同等の抽象度で音楽を捉えていたという歴史的な見取り図が議論の背景にある。
 戦後西ドイツ学派の楽曲分析は(なぜか久保田慶一『音楽分析の歴史』で完全に無視されているが)ちょっと偏屈で高精度な職人芸、ライカのレンジファインダー機のようなところがある。シューベルトの「冴えない豊かさ」は楽曲構造、音楽思考の問題でもある。

●シューベルティアーデ

 20世紀末から音楽論・音楽研究の焦点は社会史とメディア史(音が織りなす構造体としての音楽というより、人間たちの行為・交流としてのミュージッキング)に移っている。シューベルトを取り巻くウィーンの音楽サークル「シューベルティアーデ」の人脈に着目した堀朋平の大著はその好例だが、帝国のエリートたちを夢中にさせた詩と音楽の会とは、具体的にどういうものだったのだろう。サリエリの弟子シューベルトと引退した宮廷歌手フォーグルがそれほどおかしな演奏をしていたとは思えないが、衆人環視のショウアップされた「本番」ではなかっただろう。現在の音楽会にその空気感を蘇らせることはできるのか。歴史情報化(Historically Informed)されたシューベルティアーデを体験してみたい。私のまだ叶えられていない願望です。

[付記]
大井浩明氏がご自身のブログ(https://ooipiano.exblog.jp/)に私名義の文章を公開していらっしゃいますが、私が大井氏に送った文章のオリジナルは上に掲載したとおりですのでご参考まで。

なお、大井氏から、原稿改変の理由として、以下の説明をいただいております。

[2023/12/28 15:40]

大変恐縮ながら、以下の箇所は当方(私)の判断により、割愛させて頂きます。
(a) 小見出し
(b) 日本人研究者への言及(誰もシューベルトの専門家はいないので)
(c) 改稿である事(それぞれ読者数が限定的なので)

どうぞ宜しくお願い申し上げます。
大井浩明拝


[2023/12/29 3:04]

> それを言いだせば私自身もシューベルトの専門家ではありませんし、

え~、でも専門は初期ロマン派って書いてあったし~w

> そもそも、シューベルトクラスの誰もが何かを言及する(できる)音楽家で、「専門的な話題」とは何か、それ自体大問題だと思いますが、

●堀朋平を合理的に叩き潰す論点でもあれば、と思いましたが、小鍛冶邦隆にしろ岡田暁生にしろ、「わざわざ名前を引き合いに出す」ほどの意義は無いのに名前をクレジットするのは、あたかも彼らに媚びる理由があるかのように見られなくもない、と思ったからです。(ゆえに全カット。)
(毎日新聞編集委員が書いた五嶋みどり母子の本では、なぜか後書きで吉田秀和やら江藤淳らの名前が意味なく列挙されてました)

[メールの引用ここまで]

わたくしは、大井氏によると「あたかも彼らに媚びる理由があるかのように見られなくもない」文章を書いたそうです。

「・・・のように見られなくもない」という不確定な話はともかく、大井氏の改変では、私が引用した岡田暁生氏の対談での発言が私自身の言葉とされています。

大井氏にも伝えましたが、私は、私自身の言葉としてシューベルトの「三大歌曲集」を「弱々しい自己愛」と総括したことは、これまでの生涯で一度もございません。

なお、大井氏が、私のクレジットを、私の原稿にあった「音楽学・音楽評論」から単に「音楽学」としたことについては、一切説明をいただいておりません。

[補足]

大井浩明さんのシューベルト・シリーズは日本の新作とシューベルトを組み合わせる構成になっていますが、関連原稿については、日本人の発言を排除して「舶来の言説」で埋め尽くすことを希望しておられるようです。

私は、日本に生きる人間が、--ときには舶来品に魅せられつつ--ものを作る(場合によっては非合理のパワーを発揮して)だけでなく、ものを考えることもできると普通に考えおりますので、便利に利用できる他人の言葉は舶来であろうとMade in Japanであろうと、積極的に(出典を示したうえで)引用・活用しますから、彼の企画意図(ブランディング戦略?)を外れる書き手だったのでしょう。

ライカ・ショップがNikon製品を展示したり、アップル・ストアがSONYのVaioを取り扱うようになったら画期的ではあるかもしれないけれど、その店が日本人お断りだったら、わざわざ他の国籍を偽装してまで入店しようとは私は思いません。(そもそもそういう類いの西洋vs日本の線引きは、21世紀の価値観とは思えないし。)

公演のご成功を遠くからお祈りしております。