カール・マリア・フォン・ウェーバーとチャイコフスキー

大阪フィルの定期でフェドセーエフがウェーバーの「オベロン」序曲、交響曲第1番とチャイコフスキーの交響曲第5番を演奏した。(私は都合で、初日に前半のウェーバーだけ聴いた。)

ウェーバーの交響曲は、現在進行中の全集で既に新しい譜面が出ているはずだが、今回は従来の版を使ったのだろうか?

今年の定期の曲目解説の執筆者(敢えて氏名は書かない)が1990年代以後のウェーバー研究の動向を知らないのは、まあ、勉強しないおじいちゃんだから当然かなあ、とは思うが、私にとっては、この作品がマンハイムのフォーグラーの若きウェーバーへの従来考えられていた以上に広汎な影響を考える鍵だと知ったことが、ドイツの19世紀初頭の「非ベートーヴェン的」で、だからといって「シューベルト的引きこもり」に沈んでいくのではない宮廷音楽家たちの音楽の系譜(小岩信治が『ピアノ協奏曲の誕生』で「ポスト・ベートーヴェン」と形容したような)に目を向けるきっかけになった。昔ピアノソナタについて短い論文を書いたけれど、私にとっては、音楽観の転機と言えるかもしれない思い出深い作品です。

(カルロス・クライバーが「魔弾の射手」でレコード・デビューしたのは父エーリヒの十八番だったからだろうけれど、交響曲第1番には、サバリッシュの教科書的にお行儀のいい演奏等とは別に、そのエーリヒ・クライバーが戦後指揮した目覚ましい録音がある。)

チャイコフスキーがバレエで繰り広げた色とりどりのオーケストレーションの源流は、おそらくウェーバーのロマンティック・オペラだろうし、最近では、細々とではあるけれど、ベルリンやドレスデンのウェーバーの音楽が19世紀にロシアに伝わった経緯が、(「ロシアのドイツ派」アントン・ルビンシュタインだけでなく)東欧・ロシアの劇場資料の調査で次第に明らかになりつつあるようです。(19世紀ドイツの「帝国化」が東方にどのように波及したか、という研究テーマもまた、ベルリンの壁崩壊でソ連・共産圏が死蔵していた東側資料の公開で可能になった新しいトピックなのだと思います。)

そしてフェドセーエフは、ライフ・ワークとして、チャイコフスキーの交響曲に初期に遡って取り組んでいるのだから、ウェーバーの若書きのシンフォニーを「劇場に魅せられたロシア人」の交響曲の源流と考えても不思議ではない。

(例えばグリンカの音楽はウェーバーの直系という感じがします。)

東条には「猫に小判」な話だが、今回のウェーバーとチャイコフスキーは、今のフェドセーエフだからこそ、と言える興味深いプログラムだと思う。

「オベロン」はともかく、ウェーバーの交響曲は未消化な演奏だった。

ウェーバーの初期の作品では、劇場風のカンタービレや若手新世代らしい野心的な音色・表現、「市民の時代19世紀」ならではの目覚ましい virtuosity の萌芽、といったものが、ハイドン/モーツァルト以前からドイツの宮廷楽団(特にマンハイム/ミュンヘン系)が継承していたと思われる職人的なアンサンブル(息の短いフレーズを「交差」させながら繋げる書法)と曲芸的なやりくり(19世紀初頭の宮廷音楽家は個々人の技量がマニエリスティックに高まっていたと思われ、一発勝負の瞬発力で早口言葉風の素早いパッセージをピタリと決める「わざ」)を前提にしたと思われる箇所が混じり合っている。

この種の「過渡期の音楽」は、コンチェルトや器楽の小品、ショウピースだけが残って、オーケストラの歴史から消されているので、この島が欧米の後追いで運営している楽団に演奏のノウハウがないのは仕方がないかもしれないけれど、それにしても、こんなに鈍重で反応の悪い演奏をしたらダメだろうと思った。

保守的・職人的なお雇い外国人に鍛えられた「東京音楽学校/東京芸大系」の人なら、こういうスタイルをむしろ「懐かしい」と思えるかもしれないけれど、白系ロシア人に鍛えられた息の長いカンタービレを軍楽隊風の気合い一発と組み合わせてやってきた関西のオーケストラは、こういうスタイルとは、唖然とするほど相性が悪いようですね。

とりあえず、ハイドン(ウェーバーはヨーゼフの弟ミヒァエル・ハイドンの指導を受けたこともある)を上手に演奏できる機敏さとテクスチュアの透明感が前提で、そこに「ポスト・ベートーヴェン」の輝きやカンタービレをどう配合するか、これを上手に見極めないとウェーバーは面白くならない。

(たぶん、チャイコフスキーも初期に遡ると同様の「コツ」が要るんだと思う。合奏の管楽器=「楽隊」一筋の人とは縁がないスタイルかもしれないけれど、フルートや弦楽器、ピアノのソロを勉強した人だったら、必ず一度はこういう19世紀のブリリアントなスタイルを経験しているはずなんですけど……。ワルシャワでドイツ系のエルスナーに学んだショパンのオーケストラもこの系譜だし、パガニーニ以後のヴァイオリン音楽や、フルートによくある「○○の主題による幻想曲」とか、ソロが輝く19世紀の音楽には、この種のスタイルがいっぱいあるのになあ……。)