ソロ・コンチェルトとコンサート・アリア(小岩信治『ピアノ協奏曲の誕生 19世紀ヴィルトゥオーソ音楽史』)

[付記:本書にツェルニーは登場しません。こういう文脈に登場しない人なんだ、という事実を噛みしめながら研究を続けていただくのがいいのではないか、と誰に言うともなく書き足しておく12月29日。]

「C・M・v・ウェ−バ−の器楽理論、およびその実践としてのピアノ音楽の研究」というダサダサの課題名で学振特別研究員向けの科研費をもらったけれども、結局、はかばかしい成果を出せなかった過去をもつ白石知雄としては、

小岩信治さんが1810〜1830年のピアノ協奏曲の博士論文をドイツで出版して、今回、その日本向け普及版が出たのは、間違いなく面白い時代・テーマなので、目出度いことだと思いました。

ピアノ協奏曲の誕生 19世紀ヴィルトゥオーソ音楽史

ピアノ協奏曲の誕生 19世紀ヴィルトゥオーソ音楽史

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ウェーバーのコンツェルトシュトゥックが、他の作品と並んで歴史に登録されているのを見ると、知り合いの子が人気アイドル・グループのメンバーとして芸能界デビューしたかのようで、応援したくなってしまいます(笑)。

Carl Maria von Weber: Konzertstuck, Op. 79 / Piano Concertos Nos. 1 and 2 (Rosel, Dresden Staatskapelle, Blomstedt)

Carl Maria von Weber: Konzertstuck, Op. 79 / Piano Concertos Nos. 1 and 2 (Rosel, Dresden Staatskapelle, Blomstedt)

でもウェーバーのコンチェルトは良いCDがないんですよね。音の数が多いけれど、想定しているのはウィーン式フォルテピアノですから、ロシア・東欧系の人がガンガン弾いている演奏は避けた方がいい。ブレンデルとかもちょっと違うと思う。結局、私はこれが無難かなと思っています。ブロムシュテットの振るシュターツ・カペレでバックが端正ですし。

実際、小岩さんの本は、文面はマジメですけれど、19世紀のピアノのヴィルトゥオーソたちの作品の数々をプロレス観戦のように楽しんでいる感じがいいのだと思います。

コンチェルトのステージで炸裂する必殺技は、誰が誰の弟子で、誰と誰がライヴァルだ、とか、何年ぶりのカムバックだとか、というバックステージの因縁話と絡まり合っていて、ソリストとオーケストラのバトルは、バロック時代に由来するお作法・お約束と、場外乱闘が起こりかねないスペクタクルがないまぜになっているわけですから、実際にプロレス的なエンターテインメントなんだと思います。

で、我らがカール・マリア・フォン・ウェーバーのセールスポイントとして、小岩さんが「急所」という言葉を使ってくださっているのが、めちゃめちゃ嬉しい。(ドイツ人が、バレエ用語風にフランス語で「Pointe」と呼ぶやつですね。たぶん。その一点を捉えてポワントで立つ者は、ふわっと宙に浮き上がり、鳥になり、妖精となって大空を羽ばたくのです(←若干、昭和のバレエマンガ風ですみません、でも、19世紀初頭といえば、まさに、ロマンチック・バレエでダンサーがポワントで立つようになった時代です)。)

バレエとダンスの歴史―欧米劇場舞踊史

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小岩さんの本のなかでは、ドイツ・オペラ史のみならず、ピアノ協奏曲というジャンルの歴史においても、ウェーバーは「急所」だ、という言い方ですが、

「旅するヴィルトゥオーソ reisende Virtuoso」として立ち寄った街で有力者の心を掴んで、オペラ指揮者としては(当時はまだ設備・人材の整っていなかったドイツ・オペラのチームをやりくりして)狙い澄ました音楽・演奏・演出で観客を魅了して、プラハのプリマだったカロリーネ・ブラントのハートを射止めて、ロッシーニ批判とか、指揮者論とか、その後のドイツの音楽論の動向を先取りするようなピンポイントのテーマで音楽雑誌に文章を発表して……、ウェーバーは「急所を突き」、ポワントで立ってロマン主義の空へ羽ばたく男だったんだろうと思います。

ベートーヴェンの「皇帝」やリストの第1番では、オケとピアノの正面対決が見せ場になりますが、ウェーバーのコンツェルトシュトゥックは、遠くからやってくる管弦楽のマーチをソリストがじっと聴いて、ここぞという「急所」でサッとグリッサンドを決めるんですよね。そうすると、緞帳が切って落とされたように、フルオーケストラが輝かしい演奏をはじめる。あの目の覚めるような瞬間がウェーバーだと思います。

音楽と劇場の「急所」を突く天才的な嗅覚をもっていたカルロス・クライバーが、「魔弾の射手」でグラモフォンからCDデビューしたのも、ここしかない狙い澄ましたポワントだったのでしょう。

ウェーバー:魔弾の射手 全曲

ウェーバー:魔弾の射手 全曲

  • アーティスト: ライプツィヒ放送合唱団,ヤノビッツ(グンドゥラ),マティス(エディト),アダム(テオ),シュライアー(ペーター),ウェーバー,クライバー(カルロス),ドレスデン国立管弦楽団
  • 出版社/メーカー: ポリドール
  • 発売日: 1998/05/13
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ただ、いくつか、これはもうしょうがないのかなあ、と思いつつ、1810〜1830年のピアノ音楽史を日本にローカライズして紹介するときの「訛り」のようなものに関して、書き留めて忘れないようにしておいたほうがいいのかなあ、と思うところがありました。

第1は、この時期を「ポスト・ベートーヴェン時代」と呼ぶこと。

今日ピアニストのレパートリーに残っている作品でいえば、ベートーヴェンの「皇帝」とショパンの第1、2番の間の「空白の20年」のお話ですから、日本のピアノ関係者に伝わりやすい簡便な表記だとは思うのですが、この時代の空気感というか音楽(会)の質感を言い表そうとするとしたら、(今はどうだか知らないのですが)ひと頃使われていた、華麗様式 style brillant という言葉が、もちろんこの言葉にはギラギラして内容空疎、という否定的なニュアンスが入ってはいるけれども、清濁あわせのんで、いいんじゃないか、と私は思っています。

王政復古の反動で検閲が横行した「シラケ」たムードのなかで、オペラ歌手やヴィルトゥオーソの魅惑のプロレスに金持ちがうつつを抜かした時代だったわけですから。

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第2は、日本で出版しようとすると、いまだに「〜の誕生」というタイトルになってしまうんだなあ、ということ。

いわゆる「つくられた説」(昔からずっとあると思われていたことが実は近代の産物であった、という論法)は、近代を内側から眺めて、その上限を探る(そしてそこから先は「外部」だ、と確認して引き返してくる)という内向きのレトリックだと思うのです。

小岩さんの協奏曲史も、ピアノ文化を「内側」から見た言い方で、モーツァルトからはじまって、ラフマニノフで一旦終わります。

一回り大きい「外側」、鍵盤音楽史として見るとどうなるか?

モーツァルトがウィーンでクラヴィア・コンチェルトのコンサートを始めたのが1780年代。

クレメンティ社から派遣されたジョン・フィールドがピアノフォルテ普及の種を蒔き、ルービンシュタイン兄弟の音楽学校を拠点にピアノ大国の仲間入りを果たしたロシアでチャイコフスキーやラフマニノフが協奏曲を書いたのが1880年代から1900年頃ですが……、

考えてみれば、1780年代というと、各国でチェンバロの製造・開発がほぼ終わる時期。そして1880年代から1900年頃というと、チェンバロ復興、各国でチェンバロの製造が再始動する時期になるようです。

つまり、「ザ・ピアノ協奏曲」の時代というのは、ほぼいつも複数の種類の鍵盤楽器が併存していたヨーロッパの鍵盤音楽史では例外的に、フォルテピアノという一種類の楽器が市場を独占する例外的な時代だった、ということです。

こういう風にピアノフォルテを数ある鍵盤楽器のひとつ、と相対化して眺める視線は主に古楽の側から出てきた見方で、長らく「ピアノ業界」と軋轢があったり、とりあえずの棲み分けがあったりしたわけですが、

各種鍵盤楽器の復権が果たされつつある現状では、「ピアノの誕生」だけを強調するのではなく、「ピアノ時代の終焉」を認める頃合いではないか、という気がします。

18世紀が「まだ」ピアノの時代ではないことを、もう、今では誰も否定しないと思いますが、次は、20世紀が「もはや」ピアノが市場を独占する時代ではなくなっていることを歴史として認める手順が要るのではないか?

小岩さんが指摘する「打楽器的なピアノ」というのは、20世紀前半の作曲家たちが、ピアノという楽器を相対化して眺める視線をいち早く獲得していた兆候(のひとつ)と位置づけたほうが、鍵盤音楽史の大きな見取り図としてすっきりするし、話が外側へ開かれるのではないか、と思いました。

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そして第3に、これは必ずしも「家元制度」的発想に引きずられた日本固有のこととは言い切れず、「わざ」が師から弟子へ対面で伝授されるしかないパフォーマンス/パフォーマーの歴史一般の特性なのかもしれないですが、

「ポスト・ベートーヴェン時代」もしくは華麗様式の時代の横の広がりを同時代的に書くというより、その前やその後へのつながりに配慮して、ピアノ演奏の流派・門流・系統をつまびらかにする、というのが暗黙の記述モードになってしまったんだなあ、ということです。

フンメルはモーツァルトの弟子でショパンのお手本になった、とか、モシュレスがシューマン夫妻を準備した、とか、(明示的に書かれてはいないけれども)ウェーバーの小協奏曲路線がメンデルスゾーンへ継承された、とか、ブラームスは、意外にもモーツァルト復興の流れに乗って第1協奏曲を書いている、とか、ピアノ音楽・ピアノ演奏の系図の話として、それぞれの作品・作曲家の位置が決まる形になっているんですね。

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我田引水になりますが、私は、ウェーバーがピアノ協奏曲の「急所を突く」ことができたのは、彼がピアノのスペシャリストではなく、オペラも宗教音楽も書き、文筆家としても一定の仕事ができるジェネラリストだったからだと思っています。

モーツァルトやベートーヴェンは言うまでもなく色々なジャンルで作曲するジェネラリストでした。父レオポルトは息子がヴァイオリニストとして跡を継いでくれると期待して幼少から仕込んでいたのに、息子アマデウス君は、ウィーンへ移住すると同時に、より将来性の見込めるクラヴィアに注力することにしたわけですから、「勝ち馬に乗る」新規参入組ですし、ベートーヴェンは、ボンで歌劇場オーケストラのヴィオラを弾いたりもしていたようです。

そしてそのあとも、おそらくショパン、リスト登場以前のピアノ業界は「まだ」辛うじてジェネラリストにも参入できる余地があって、ウェーバーは、ピアノが達者に弾けるだけでなく、コンサートや劇場をオーガナイザー的にトータルに見る視点を持っていたから、「急所」がわかったんじゃないかと思うのです。

(銀行家の息子のメンデルスゾーンも、同様に、興行のオーガナイザーの才覚を持っていたに違いない人ですから、それで、数ある「流派」のなかでも、ウェーバーの路線に親近感を抱いたのではないかと思う。)

具体的な仮説としては、小岩さんの協奏曲論のひとつの重要な論点になっているソリストの入りでの「緩から急へ」というのは、オペラでちょうどこの頃から行われ始めた登場の大アリアの手法(カンタービレからカヴァレッタへの畳みかけ)の器楽版なのだろうと私は思っています。

で、これを論証するには、おそらくコンサート・アリアが鍵になる。

ある特定の時期の特定の音楽家のピアノ・コンチェルトの様式特徴の由来を解明するだけのために、同時代のオペラ・アリアやコンサート・アリアを広く漁って、その特徴を調査する、というのは、研究の「費用対効果」の点で割が合わないので、私はその先へ進むのを止めてしまいましたが、

(そんなことをするんだったら、19世紀初頭のコンサート・アリアの研究を主にして、副産物としてコンチェルトを論じたほうが効率的)

当時のいわゆる「ごちゃまぜのプログラム」において、コンチェルトとアリアが近いジャンルだったんじゃないか、そこは、上手く突っ込む余地のある話ではないか、ということは、いまだに思っています。

夜の女王のアリア?コロラトゥーラの女王

夜の女王のアリア?コロラトゥーラの女王

  • アーティスト: グルベローヴァ(エディタ),J.シュトラウス,モーツァルト,アーノンクール(ニコラウス),ボニング(リチャード),リッツィ(カルロ),ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団,チューリヒ歌劇場管弦楽団,コンセルトヘボウ管弦楽団,ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス,ロンドン交響楽団
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
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考えてみると、小岩さんも言及しているダールハウスの「ベートーヴェン型音楽文化」と「ロッシーニ型音楽文化」の二元論は、1810〜1830年代を見るときにとても大事で、「ベートーヴェン型音楽文化」は、その後、声楽と器楽の間に巨大な壁を築いて、器楽優位の「絶対音楽の王国」へ展開するわけですが、

「ロッシーニ型音楽文化」における声楽(オペラ)と器楽(ヴィルトゥオーソ)のつながりが見えにくくなっているのは、その副作用ではないか、とも思われます。

で、コンサート・アリアのようなソロ・コンチェルトを書けばいいじゃん、というウェーバーのアイデアは、壁の真ん中をくりぬいて、バイバスすることだと思うんです。

現在のシンフォニー・コンサートに声楽家が登場するのは、レパートリーの力点が急速に後期ロマン派から20世紀前半へ移行しているので、マーラーなどの声楽つきシンフォニーや、合唱が入る大規模な宗教曲、さもなければ、これも後期ロマン派時代の産物であるオーケストラ伴奏歌曲に限られます。

でも、18世紀から19世紀初頭にはコンサート・アリアがかなり作られていますし、もっとやられていいと思うんですよね。

そしてそんな風に、オペラ歌手が「オペラ歌手として」(=抒情歌曲や宗教曲のソリストとしてではなく、声のドラマの演者として)コンサートの舞台へ華やいだ雰囲気をもちこむことが再び一般化すれば、華麗様式(「ポスト・ベートーヴェン時代」)のピアノ・コンチェルトがレパートリーに復活する可能性も開けるのではないか。

青臭い話で恐縮ではありますけれど、

華麗様式のソロ・コンチェルトは、タコツボ的に専門分化したクラシック音楽のジャンル分けをもう一回考え直して、その結果を実際のステージにフィードバックできる可能性を秘めた話題だと、私は思っているのです。

若い研究者の皆さん、ガンバッテくださいませ。

モーツァルト:協奏交響曲/ヴァイオリン協奏曲第3番

モーツァルト:協奏交響曲/ヴァイオリン協奏曲第3番

  • アーティスト: デュメイ(オーギュスタン),モーツァルト,クリヴィヌ(エマニュエル),コセ(ジェラール),シンフォニア・ヴァルソヴィア
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デュメイが関西フィルに来て、弾き振りでベートーヴェンのドッペルコンチェルトをやったり、若手にメンデルスゾーンのコンサート・アリアを歌わせるのは、そういう意味で良いアイデアだな、と思っています。室内アンサンブルに近いサイズ、雰囲気のシンフォニー・コンサートというのがもっとあっていい。