2017-01-01から1年間の記事一覧

90年代との距離

世界の終わり、というのをはじめて聴いて、Roseの熱唱に動揺しながらETVをちょっとだけ覗いたら、エッシェンバッハの第九の合唱は国立音大ではなかったんですね。ロックの人の懐メロ殿堂入り感と、40歳松たか子の不動のアイドル様式の対比がすごい。Sports M…

様々なドミソの和音

便利な道具として「グローバル」(?)に使用される英語と、原書の翻訳者が知識とわざを総動員して取り組む英語(もしくは「英語→日本語変換」と呼ぶしかない営み)と、文学者や哲学者が精読する英語は、ほとんど別の言語かもしれないけれど、それでもそのす…

多文化主義者チャイコフスキー

小岩信治『ピアノ協奏曲の誕生』を熟読するシリーズ最終回。チャイコフスキー以後の「拡散」を扱う終章である。前に読んだときにロシアのポストチャイコフスキー協奏曲の「美しい旋律を湛える短調」というキーワードに感動して、その後何度か、「短調」は一…

タイプ不一致を「よける」

新世代実装とともに、タイプ不一致なのだけれども凶悪・強力な必殺技を繰り出すモンスターがボスとして登場するのは、相手の裏をかく戦術を導入しているわけで、これは対人戦実装のための準備なんでしょうね。ゲームを「作る」人たちは色々考えなければいけ…

書物の生産 - 高等教育は学会という名の国営工場に頼るべからず

久しぶりにツイッターを眺めていたら、吉田寛先生が「作る」という発想にようやく目覚めたようだが、それで言えば、「ものづくり」という言い方で甘美に回想されがちな高度成長期には「知的生産」という言葉があった。博士号取得というゴールが明確になった…

ブーレーズ殺し

ところで、学生さんと調べていてわかってきたのですが、スペクトル楽派というのは、グリゼーとミュライユが独自に70年代にやっていた活動が、ブーレーズを所長に据えたIRCAM設立の頃に事後的に「スペクトル音楽」としてオーソライズされた、というのが真相の…

続・受肉の作法

2つ前のエントリーの続きです。メシアン「アッシジの聖フランシス」(読売日響がそのように表記して以来、突如として各媒体がフランシスをフランチェスコと表記するようになったが、官公庁の発表ではないのだから、フランシスでいいじゃないか、広報に逆ら…

団塊病

東京の動向をみていると、良くも悪くも官僚的/グローバリズム的に世代交代して、「失われた20年」の団塊世代の病から次第に癒えているようだが、大阪のクラシック業界では、戦前生まれにずっと頭を押さえられていた団塊さんが、ようやく自分たちが「おじい…

ラローチャのトゥリアナ

YouTubeにいくつか映像があがっているのは、ラローチャの十八番だったからなのだろうけれど、1969年のテレビ映像がいい。ラローチャは、アルゲリッチが英国で学んだマリア・クルチョの親友だったらしく、このあたりに20世紀のラテン系女性ピアニストの系譜と…

受肉の作法

メシアンのアッシジはイエスの受苦を真の奇跡と位置づけるカトリックの信仰があって、色彩や鳥や愛は、ムシカという観念・抽象の受肉を実践したんだなとわかってくる。三輪真弘のモノオペラの長ゼリフは、ほぼムシカの観念を語っていて、やはりこの人も池内…

塔の中の音楽

梅田の高い塔の中のホールが主催する意識高い系の演奏会に行くと、かなりの確率で元阪大院生たちが昆虫のように群れていて、なかなかに不快である。

ドイツのカンタータ交響曲の曲目解説

1994年末に当時の音楽監督井上道義が指揮した京響の第九の曲目解説が、わたくしの原稿料をいただくプロオケ曲目解説の初仕事でした。まだ大学院生で非常勤の仕事をいただいた最初の年でもあり、京都人の岡田暁生や伊東信宏より先に京響から声をかけていただ…

19世紀後半の知性:音楽的教養(傾聴)と様式批判

小岩信治『ピアノ協奏曲の誕生』を今週も学生さんと一緒に読む。そして気がついたのだが、小岩さんは、フンメルがベートーヴェンのライヴァルであり、a-mollのピアノ協奏曲の終楽章の主題(ソ#ラ ミ in a-moll)がベートーヴェンのc-mollの協奏曲の終楽章の…

フォーレのオルガン、ドビュッシーのガムラン、ラヴェルのクラヴサン

ホルチャンスキーという学者が、ピアノという楽器には「オリジナル・トーン」の追求と並行して、他の楽器の「模倣」で表現の可能性を拡張しようとする傾向がある、と指摘したのは、さしあたり、ベートーヴェンに影響を与えたと思われるクレメンティなどロン…

不死のドラマの最終回

なるほど、あのドラマでまだ患者役をやっていないのは彼女だけだが、そこはストーリーの軸にはならないだろう、という感じが予告編に漂っていますね。このシリーズは、毎回、2つか3つの話を重ねながら進むし、初回から現在まで、医療ドラマなのに決して人…

妻は音楽家 - 戦後日本の音楽一家の構造

尾高尚忠が1951年に36歳で急逝(N響が忙しすぎて過労で倒れたように見える)したとき、次男の忠明は1947年生まれだから3歳か4歳だったことになる。次の大阪フィルの音楽監督に決まっている指揮者で、兄は作曲家だ。私の印象では、尾高家の家族構成が辻井市太…

大阪にオーケストラはいくつあるのか?

「4大オーケストラの饗宴」という大阪国際フェスティバルの企画は来年の4回目で一旦完結するそうだが、大阪のプロオケは4つだ、ということでいいのかどうか。読売日本交響楽団が数年前から大阪で年3回「大阪定期」として東京の定期演奏会と同じプログラ…

17、18世紀のオペラにおける宮廷歌手と劇場歌手と喜劇役者

今年のオペラの歴史の授業は、水谷彰良『プリマ・ドンナの歴史』を参考にしながら、歌手のプロフィールと作品の特徴を付き合わせることでオペラの歴史を考え直そうとしております。たとえば、フィレンツェのカメラータのエウリディーチェではローマから来た…

ペダル・トレモロ・高音域 - グラントペラ時代のピアノの技術と効果

小岩信治「ピアノ協奏曲の誕生」のリトルフの章を学生さんと読んでいて、学生がこの章の筋立てをつかみにくそうにしていたので、一緒に考えているうちに、そういうことかと思いついた。この章はピアノの改良が協奏曲のピアノ書法を変えて、その到達点として…

大澤壽人はウルトラモダン(近代の超克)ではないし、フランス派でもない

片山杜秀がゼロ年代に大澤壽人を市場に投入したときに、世間は大澤壽人を「知られざるモダニズムの最終兵器」、いわば、零戦や戦艦大和(戦前の日本の近代化の到達点であるにもかかわらず敗戦によって海の藻屑となった悲劇のヒーロー)の音楽版みたいな位置…

日本歌曲と日本の詩歌の歴史

日本の詩の流派を「浪漫派」とか「シュールレアリズム」とか、欧米の芸術運動になぞらえて分類するのは、それぞれの詩人の立ち位置を考えればそういうことになるのだろうけれど、ドイツやフランスの歌曲と比較しながら日本歌曲を勉強するときには、むしろ、…

メディア論、エクリチュール論と北大西洋条約機構

世紀前半のアメリカニズムの総仕上げみたいな感じに視聴覚メディアが普及して、「書き言葉」=出版文化の地位を揺るがす可能性が見えてきたところで、お隣のカナダのしかも工業化で潤ったフランス語文化圏という微妙なポジションの司祭が、カトリックを「声…

メタモ

ポストモダンが「ポモ」だとしたら、メタモダニズムはメモなのだろうか。「メタモ」のほうが、体脂肪率の高くなりすぎてダイエットが必要なモダニズムの終末期、という感じでいいかもしれない(=流行るまえに先回りして略称を考えてしまうメタモダニズム言…

詩を歌う vs 歌詞が楽曲に従属する

JASRACは歌詞なる言葉の連なりを楽曲に従属するその一部として取り扱っているらしいのだが、詩を歌う、とか、詩に曲をつける、というとらえ方と、歌詞が楽曲に従属する、というとらえ方の違いは、かなり広範囲に影響が及ぶ大問題なのではなかろうか。ここ数…

官僚とポストモダン

前の一連のエントリーのアイデアを暫定的にまとめるとしたら、官僚やその補助学としての高等教育関係者各位には、「官僚的」に(=エセ教養主義的な「なんちゃって治者」として)ポストモダンと戯れて心のバランスを保とうとするよりも、粛々とモダニティ(1…

19世紀半ばの構造転換

ハーバーマスの言う「公共性の構造転換」は、既に19世紀終わりのドイツ帝国あたりから初期近代の「対話的公共性」は機能しなくなったという話だったはずで、だからあれば、「音楽の現代」は19世紀半ばの第二帝政期にはじまった、というフランス文化史で言わ…

東大法学部的なもの

大学院改革の過渡期に、新制度に乗ってまず博士号を取得した者と、旧制度を利用して博士号取得を待たずに研究職を得た者が併存したのは、要するに、過渡期だからそうなるのもしょうがないし、その後、順当に新制度が軌道に乗るにつれて、当初は「抜け駆け」…

フランスのオルガンと「長い19世紀」

ドイツのピアノ音楽はクララ・シューマンを中心に据えると読み解くのが容易になる、という思いつきに続いて、フランスの鍵盤音楽は、まず何よりも、カトリック教会が王党派や共和主義者と同じくらい強い国におけるオルガンの伝統、「19世紀のオルガン」に着…

恩師に忖度

そういえば前回京都で音楽学の全国大会があった時には当時の礒山会長がシンポジウムに登場して、今回も会長の出るシンポジウムがあった。いずれも関西在住の弟子の企画だ。まるで西田敏行をよいしょするドクターXの3人のタカシのような振る舞いだが、阪大の…

実用演奏譜と研究譜・批判原典版は対立しない

音楽史の授業で、ウィーンの建築の歴史主義とブラームスの教養主義の同時代性という岡田暁生のウィーン論あたりに出てくる話を紹介して、ヨーロッパの音楽は、ほぼ19世紀半ばに、個人の営みではなく、学校・常設楽団・作曲家全集といった制度で維持する社会…