詩を歌う vs 歌詞が楽曲に従属する

JASRACは歌詞なる言葉の連なりを楽曲に従属するその一部として取り扱っているらしいのだが、詩を歌う、とか、詩に曲をつける、というとらえ方と、歌詞が楽曲に従属する、というとらえ方の違いは、かなり広範囲に影響が及ぶ大問題なのではなかろうか。

ここ数年、歌曲演奏会の解説をしようとすると、手足を奇妙に縛られているように不自由で、意味不明の拘束を解きながら準備を進めると異様に時間がかかってしまうのは何故だろう、と考えるうちに、現在の日本には、「詩を歌う」という行為を実践したり、それについて語ったりすることがどうにも難しい文化的な状況があるんじゃないか、と思い至った。

(堀朋平のシューベルト論が異様に執拗で長くなるのも、ひとつには、そういうことがあるんじゃないか。)

明治以後の「詩」という概念の奇妙な展開が、洋楽としての歌曲の取り扱いと掛け合わされて、そこに、北米流の音楽産業が入ってきて、しかもそこに、「詩を歌う」などという発想は音声中心主義だから超克すべし、と言わんばかりのポスト構造主義批評が右斜め上から降ってきたところにJ-POPの大成功があって、そうした一連のトピックが日本のそれ以前からの伝統と絡まりあっているように思う。

音楽著作権といえば増田聡がトップランナーだ、みたいなしょぼい装備のままで、はたして、このあたりを読み解くことができるのだろうか?

大きなスパンで言えば、「文学」を中心に据える古典的教養の衰退という(主として京大系の)人文学者や教育学者が好きな話(ほぼ旧制高校への郷愁)でもまだスケールが小さすぎて、視覚優位の大衆情報社会が従来の五感のいずれとも関連しながら文化・文明の中央に君臨した「言葉」の地位を脅かす流れがいつから決定的になったのかという話だと思う。

(たぶん19世紀半ばあたりが大事だろうと私には思えます。演劇という「言葉の芸術」がスペクタクル化に舵を切ったのがその頃以後なので。

ちなみに、岡田暁生のオペラ論では、音楽劇のスペクタクル化におけるグラントペラの役割がクローズアップされているが、厳密に言うと、マイヤベーアあたりのグラントペラでは、まだ、音楽劇のスペクタクル化がパリの特産品(パリの劇場の「個性」)と受け止められていたのではないかと思う。「スペクタクルにあらざれば演劇(オペラ)にあらず」という雪崩現象が起きるのはマイヤベーアのあと、音楽をスペクタクルに対抗できる「サウンド」という聴覚的効果に再編した後期ワーグナー以後のことだろう。)