2018-04-01から1ヶ月間の記事一覧

ジェミニアーニ、コルンゴルト、バルトーク

……ということで、先月の京フィル定期と今月の間フィル定期の解説を書かせていただきましたが、京フィルでは、山田和男(一雄)のサティ「パラード」みたいなシンフォニエッタとともに、ジェミニアーニの面白さを教えてもらった。コレッリの弟子が英国に渡っ…

空気を読まないシェーンベルクとサラサラ流れるコルンゴルト

ドイツに1年いて帰ってきた頃、一足先にドイツから帰国して阪大の助手になった岡田暁生が学生数人を誘って交響詩の勉強会をやったことがある。シュトラウスの音詩について彼がAfMwに論文を投稿した時期だったので、自分が勉強しつつあることを話したかった…

オッサン臭い「職場」は息が詰まる - 大栗裕生誕100年に思うこと

大阪の4つのオーケストラが集まる演奏会のプレトークイベントで、大栗裕が大阪国際フェスティバルのために書いたファンファーレ(3曲ある楽譜のうちの2曲)が演奏されました。この曲について、プログラムに寄稿させていただきました。*楽譜を発掘して、本…

死んだ過去としての20世紀と生前の思い出としての20世紀

21世紀に生まれた人たちが既に18歳になろうとしているわけだから、20世紀が今生きつつある者とは直接関わりのない「過去」(奥行きを書いた事実の記録)として扱われるのは、これはもうしょうがない。その一方で、かつて20世紀が「同時代」であった頃の記憶…

懸命にもがく見世物は「人間的」か?

自然主義リアリズムや私小説がドロドロした現実から目をそらさない近代の芸術だと言えるのは、それが諷刺・告発・批評として機能するからだと思う。でも、懸命にもがく姿それ自体を興行・見世物にするのは、要するに奴隷と猛獣が闘うコロシアムを見物してい…

飯森範親はチャラいマエストロというより手堅いカペルマイスターではないか

日本センチュリーの指揮者に就任したときは東京から司会にテレビのアナウンサーを呼んだり、いきなり定期演奏会を2日公演にしたり、毎回コンサートの帰りに「おみやげ」を配るスポンサーが付いていたり、ケバケバしく大量の花火が打ち上げられるのに辟易し…

黙殺と誇大広告のあいだ - 関西(の)弦楽四重奏(団)

1月に関西弦楽四重奏団のベートーヴェン全曲演奏企画の2回目があって、3月にロータス・カルテットがドイツから里帰りして後期四重奏全曲を神戸、シューマンの全曲を京都でやるのだから、今は「関西(の)弦楽四重奏(団)」の話をする恰好のタイミングだろうと思…