オッサン臭い「職場」は息が詰まる - 大栗裕生誕100年に思うこと

大阪の4つのオーケストラが集まる演奏会のプレトークイベントで、大栗裕が大阪国際フェスティバルのために書いたファンファーレ(3曲ある楽譜のうちの2曲)が演奏されました。

この曲について、プログラムに寄稿させていただきました。

楽譜を発掘して、本番にこぎつけるまでには朝日新聞文化事業団の担当者様(女性)のご尽力があったのですが、本番に行ってみると、何か妙な違和感があって、それはどうやら、そうした実務できめ細かに動く方々(多くは女性)の姿がほぼ表に出ないで、まあ、指揮者が4人とも男性なのは現状の日本の洋楽環境ではしかたがないとして、司会者も中年男性のアナウンサー(前に一度、飲み会でご一緒したことがある)で、客席・ロビーには例によって「業界」っぽいおじさんたち(東条氏が来ていましたね、私が見かけたときには、オケのスーツ姿のスタッフと顔を寄せ合って何かを相談していた)がうごめいていて、あまりにも男臭いイベントだったからではないかと追う。

オッサンたちが会議室で決めたことを執り行っている感じを突き抜けて、藤岡幸夫が「白鳥の湖」(当然ながら、プリマやコール・ド・バレエのチュチュを着た女性たちの姿が思い浮かぶ)を取り上げたのは冴えているなあと思ったし、関西フィルは艶のある響きで、今このオーケストラはとても良い状態なんだなと改めて思った。

(藤岡幸夫は関西フィル在任19年目で、長く一緒にやっているからこそできる仕事をしていると思う。随分前に日経にも批評を書いたことがありますが、私は、関西に来ている指揮者で大化けするとしたらこの人だろうと前から思っております。)

大阪国際フェスティバルの公演で、「大阪4大オーケストラの饗宴」というタイトルだが、司会者氏の「4オケ」の名で親しまれています、という言葉も、「ほんまかいな、それ、内輪でそういう風に言ってるだけちゃうの」という感じがした。

(私は、「プレトーク」というのが嫌いだ、ということもあるけれど、大栗裕をやるというので早めに行って待ち構えて全部みましたが、なんだか進行がギクシャクしている印象を受けました。こういうイベントの、「プレトーク」というすわりの悪い場の司会は、イベントの当事者ではない「雇われ」でやろうとすると、「やったもの負け」と言わざるを得ないくらい難しいと思いますが……。)

[ちなみに、木管セクションによるモーツァルトは、祝祭の場なのになぜか短調作品で、とても良い演奏だったので驚きました。4つのオーケストラの楽員の皆さんは、お客さんとのインターフェースとして「表」にでてくるオッサン臭い感触のあれこれとはほとんど関係ない自分たちのペースで自分たちの仕事をしている感じがしました。]

2012年の大栗裕没後30年の演奏会では、新聞各紙の女性記者の皆さんに、それこそ「昭和のオッサン」(松本清張と同じ年の生まれで見た目もどこかしら似ています)であるところの大栗裕を上手に扱っていただきました。

いま、朝日の文化事業で、実務を担当していらっしゃる女性の方々の姿が表に見えず、スーツ族ばかりが表に出ているのとは違って、当時の記事は、当然ながらすべて、女性記者さんが自らの言葉で書いた署名記事でした。

(報道の現場でヴィヴィッドな仕事ができなくなったのは、おそらく、大阪に維新が台頭して、市長がSNSで女性新聞記者を名指しでdisる、というような無茶苦茶をした結果なんだろうと思います。ヤンキーの兄ちゃんの乱暴狼藉に対抗するには、鉄面皮な体裁のスーツ族(男性)を立てるしかない、ということになってしまっているのでしょう。)

実は前から、大栗裕生誕100年の2018年に何かを企画するとしたら、女性の皆さんにご登壇いただいて、「女性たちが語る大栗裕」というのがいいんじゃないかと思っていました。

大栗裕は1964年から亡くなるまで京都女子大で教えていて、お子様はすべて女性でみなさん京女を出ていらっしゃいます。いまでも、仏教賛歌を歌い継ぎ、マンドリンオーケストラや女声合唱のための作品の自筆譜を京都女子大や西本願寺が所蔵しており、京都女子大は大栗裕作品の「拠点」のひとつです。

また、伊丹市では、関西歌劇団で大栗作品を歌った女性歌手の方が企画して、先日、マンドリンオーケストラのための音楽物語「ごんぎつね」がピアノ伴奏の室内オペラ形式で上演されました。(奇しくも演出も女性でした。)

この先、関西学院マンドリンクラブで大栗裕の指導を受けて、帝塚山女子高校でギター・マンドリン部を指導してこられた先生(大栗裕は同校のために音楽物語を2つ作曲しています)と同校OB(女子校ですから当然みなさん女性です)による演奏会も予定されています。

さらに言えば、大阪音大付属図書館に寄せられた大栗裕の資料を30年にわたって管理してこられたのも女性職員さんです。

朝比奈隆の場合もきっとそうだと思うのですが、「男性共同体」のイメージで語り継がれている昭和の関西楽壇の「オトコたち」の「やんちゃ」の周囲にはしっかりした女性の方々がいらっしゃって、朝比奈隆にしても大栗裕にしても、そういう女性が輝く場を(当時なりのやり方で)作っていた、という風に立論できる気がするのです。

(大栗裕が武智鉄二の発案で歌劇にした「夫婦善哉」も気丈夫な女性を輝かせる話だし、武智鉄二の後半生も次から次へと登場する女性たちに支えられている。大栗裕の周囲には、昭和期大阪の「女性に甘える男たち」の文化があると思います。)

生誕100年を「オッサン臭くない大栗裕」の年にできればよかったのですが、そういうことを企画するには、現在の大阪のクラシック音楽環境は、意地を張ってフェミニンなものを遠ざけるダサダサの「オッサンたち」がはびこりすぎていますね。機が熟していない、ということでしょう。