芸術祭審査員の「打ち上げ」 - 受賞の差配をめぐる談合・裏取引の温床を憂う

リーガロイヤルホテルでの文化庁芸術祭授賞式に出た後、肥後橋にある関係者オススメの隠れ家的イタリアンで遅くまで呑んでました。京都には無い感じの(いい意味で)カジュアルなお店で、すごく気に入りました。

今年は立命館大学院の吉田寛先生が文化庁芸術祭音楽・関西部門の審査員に加わって、公演審査の終わり頃から「審査員で打ち上げとかはないんですか」と言っており、審査会終了後には審査員同士でメアド交換をしていたが、本当に「打ち上げ」をやったらしい。

(1) 公的機関が主催する行事に第三者機関として関与している役職にある者が、その公的行事の主催者が関知しない場所で極秘裏に意見交換等を行うことは、「談合」の疑いをもたれても言い逃れできないのではないでしょうか?

(2) その「打ち上げ」に参加した「関係者」は、審査員だけなのでしょうか。もし、受賞者もしくはその周囲の今後の審査対象となる可能性がある団体・個人等がそこに含まれている場合、裏取引等の疑いが生じるのではないでしょうか?

(3) 大きな行事が開催されたときに、その主催者・関係者が互いの労をねぎらう場をもつことは、社会的慣習として認められると考えます。しかし、文化庁芸術祭の場合、

  • a) 公演審査員という立場にある者が、つつがない行事の終了について「労をねぎらう」としたら、それは、内輪で集まる、のではなく、芸術祭という行事を円滑に遂行してくださった文化庁職員の皆様をはじめとする主催者に我々が感謝しつつ、お互いを慰労する、というような形になるのが順当ではないでしょうか。
  • b) そして、文化庁芸術祭は、既にそのような慰労の場として、授賞式のあとに同じ会場で受賞記念パーティが設定されています。多くの参加者の「目」がある公然の場所です。もし、審査員が相互に、あるいは、他の関係者と非公式に意見交換を行うとしたら、このパーティの場こそが安全でもあり、ふさわしいのではないでしょうか。この記念パーティに加えて、さらに「打ち上げ」を設定するのは過剰であり、社会的慣習として認められた範囲を逸脱する意図・目的を疑われるのではないでしょうか。

私は、所用で今年の(今年も)授賞式は欠席しています。

(例年、授賞式は授業のある平日の午後に設定されています。)

「打ち上げ」については、最初に話が出た段階から何かおかしい、と感じておりましたので、メアド交換等も行っておりません。

芸術祭の審査員は、これまでの慣行では3年程度継続して務める例が多いようですので、なおさら、「今後への影響」を考えるべきであったと思います。

もし、私が来年度以後にお話をいただいた場合には、この件について、事務局としてどのようにお考えなのか。確認させていただこうと思っております。

談合・根回しの温床であったと今から振り返ると言わざるをえないかもしれない昭和の自民党の職員さんのご子息で、現在は私立大学に勤めていらっしゃる先生と、南九州で親も親戚も、ほぼ全員が公務員で民間企業に勤めている人間が誰もいない環境に育ったわたくしでは、「公共性」に関するコンセンサスにズレがあるのかもしれませんが、だとしたら、公然と、順を追って、問題点を明確にしておくべきかと思いましたので、以上、敢えて、公然と書かせていただきました。

白石知雄