ソナタ形式の理論

現行の通俗的なソナタ形式の理論は、ハイドンやベートーヴェンが預かり知らないところで後世19世紀以後の音楽愛好家や理論家が作りあげたもので、たとえば、そもそも18世紀末や19世紀初頭にはソナタの冒頭楽章の構成を「三つ部分」に分けて捉える考え方すら盤石に定着していたとは言えない。通俗的なソナタ形式の理論が広まった時代に育ったマーラーやリヒャルト・シュトラウスを分析して、論じるときには、この枠組が一定の役に立つだろうけれど(たとえば、院生時代に岡田暁生が勉強会を主宰したときに、彼は、「死と変容」でシュトラウスが愚直なまでに弁証法をやろうとしている、と分析していたけれど)、ハイドンやベートーヴェンを視野に入れて「ソナタの弁証法」を語るのは、たぶん無理筋だろうと思う。

(そのような理論の枠組では、ウェーバーやシューベルトのソナタ・交響曲・室内楽を分析しようとしてもお手上げ状態になると思います。)

おそらく、音楽理論史の定説はそのようなあたりに落ち着いているはずだと私は理解しているのですが、こういう七面倒くさい議論は、今の現役の音楽研究者には継承されていないのでしょうか。