2016-11-01から1ヶ月間の記事一覧

感情論その可能性の中心

私は、少なくとも大栗裕については、一行たりとも事実の裏付けのないことを書かない、という縛りを自分に課しているつもりですが、そういう縛りでどこまでいけるか、と考えていくと、不意にこういうタイトルを思いついた。

人文科学の不幸が学会口頭発表の司会という立場に集約されてしまうことへの怒りと憐憫

昨日の学会発表を終えたあと、私はずっと不機嫌だったのだが、一夜明けて、何も後ろ暗いことはしていないし、自分の発表内容を整理して、当然問題点は色々あるにしても、現時点でのベストを尽くしたと自己評価しております。どうやらこの不機嫌は己への後悔…

空堀・真田・陸軍墓地

ブラタモリ真田丸を探せの巻、ようやく録画でじっくりみました。あの絵図の成立年代と真贋が鍵を握りそうですね。北側と東側に現在も同じ地形が残っているということは、実際に真田丸を見ていなくても、後世の人物が残された地形から推測で書くことができる…

学問は口語体という文章語で話す

論文だけじゃなく口頭発表もそうですよね。私は、そういうのからしばらく遠ざかっていたこともあって、いまいち上手じゃなかったりするが、それはともかく、「学問は文章語で話す」というのは、克服されるべきダメな状態なんじゃなくて、そういう風にしない…

祝祭としての朗読 - 大栗裕の朗読とマンドリン・オーケストラのための音楽物語のジャンル特性

→ 発表原稿PDF http://www3.osk.3web.ne.jp/~tsiraisi/musicology/article/ohguri-melodram20161113.pdf

話し言葉の制御

朗読劇における言葉が、音楽を伴う場どのように制御されているか、という話をしようと準備しているわけだが、そうすると、どうしても、書かれた文字ではなく、話し言葉の音声を聞いていただく時間が必要になって、なおかつ、これを受け止めて語るわたくし自…

エビの親方様のインターテクスチュアリティ

そこに焦点を合わせると、「テクスト」としての内的統一に欠けたこの回(たぶん制作サイドは学生時代に嫌々レポートを書いた程度で論文を「書く側」のことを人情ドラマに仕上げられるほどには知らないと思う)は、むしろ最後の一発大逆転として十分成立して…

差異と反復

21世紀の少なくとも前半は、20世紀を社会主義と総動員なしでやり直すことになるのかもしれない。ロマン主義が古典主義とワンセットだったように、これならポストモダンがモダンとワンセットなのがはっきりする。散文的で自然主義的なリアリズムも、同様に社…

三十路

TL30になったら本当にやることがなくなった。計算の上では、あと 3 × 42 km 歩いたらヘドロが進化して、図鑑の残りは一点物が3つだけになるが……。

戦後的国際人にとって「日本は素晴らしい」と「すべて日本が悪い」は等価である

北米メディアもトランプ大勝利を予測できなかったのだから、日本のマスメディアが自分たちに都合にいいことだけ言う傾向をもっていようがいまいが、この件では関係ないよね。2015年以来の政局では、何か起きるとすべて「安倍総理が悪い」ということにしたが…

時代区分

20世紀は短かったかもしれないが、21世紀への転換は1914年に大戦争が勃発した20世紀のようにはいかず、案外時間がかかっている。週末医療が完備された高齢化社会である。[追記:北米の大統領が変わることが21世紀の始まりの光景なのか、何かを終わらせるため…

発言者の発言と存在

はたして両者を完全に分離できるのか。完全分離は、あまりにもポストモダンすぎないか。分離を標榜したとたんにその発言と発言者が丸ごと隔離されるのが落ちではないか。存在実体を欠いた発言者という観念概念は一種のAIを思わせるわけだが、実在するAIはそ…

スーパーサブの可能性と限界

広瀬大介がリヒャルト・シュトラウスのナチス時代の後期オペラに着目したり、小岩信治がピアノ協奏曲に取り組んだり、堀朋平(2人よりちょっと若い)がシューベルトの中期を熱く論じるのはスーパーサブの思想かもしれない。アンチ・ハイカルチャーということ…

空気と誇張

私は〇〇する、と書けばいいものを、〇〇しない人間はいない、したことのない人間はいない、と踏み込んで誇張するSNS話法は、それ自体が空気の過剰操作の企てである。

エンディング

で来ましたか。11月第一週、予想より早かったですね。シャルパンティエと服部隆之 - 仕事の日記ともかくこれで、N響のテーマ音楽がドラマのキモだということは誰の目にも明らかになった。三谷幸喜のドラマを20数年見続けてきたファンへの贈り物みたいなもの…

「天下の台所」の有効期限

江戸時代300年の天下泰平と言うけれど、前半17Cの町人文化の中心は相変わらず上方だった、というのは歌舞伎や浄瑠璃のことを少し調べたらわかること、いいかげん「常識」だ、と言ってよさそうなことですよね。そしてここに大坂の蔵屋敷とか、そういう経済の…

プロメテウスと火気厳禁

プロメテウス神話は、「火」を授かり、その取り扱いを覚えることで人間は文明化した、というような話だろうと思いますが、だとしたら、「炎上」という名のすべてを焼き尽くす過剰な火と、出火を恐れる神経過敏の両極に引き裂かれた情報の社交空間は、文明以…

グローバル人材には間違いを恐れない豪快な正直を望む

人間関係においては、百発百中100点満点を狙うのは無理だ。人間は、他者に対して「黙って座ればぴたりと当たる」神通力を有しない。神通力は、定義上、神の業であり、人間のできることではない。何かを間違えたときに、次は間違わないようにしよう、間違わな…

とことんつきあって見極めよ

誰も聴いてないというんだったら、今さらもっともらしいことを言っても後の祭り。今後こういうことがないように、苦い教訓とするしかなかろう。本気で、これはいい、と思っているんだったら、とことんつきあわないとダメだよ。東京で遠征を準備している頃の…

「星」たちの21世紀

片山杜秀はなんだかんだ言って暁星から慶応で母校の教授になって「上がり」という感じだが、私のまわりには、妙に京都洛星出身の音楽関係者の姿が見える。京大や東大へ行くエリート男子校だから、と言ってしまえばそれまでだけれど、なんとなく、21世紀はそ…

大台

LV30で止めよう、と思っているのだが(あとXPが15万)、それまでにサワムラさんにまた会えるだろうか。先日一度出会って逃げられたのだが。(港に行かないと会えない種は最初から興味の圏外だからいいのだが。)

関西の80年代

ラグビーの平尾(1963年生)の追悼番組をさっきNHKでやっていたが、天王寺高校出身の岡田武史(1956年生)や京芸出身の佐渡裕(1961年生)が出てきた。晩年は神戸にクラブチームを作って内田樹(1950年生)とつきあいがあったようだし、同志社大から英国留学…

典型の考察

山田治生が気になるのは、ひとつの典型に見えるからである。何かから距離を保つデタッチメントと、何かに介入するコミットメントの境界を踏み越えるか否か、そこに異様に神経過敏に拘泥して、言説がこのこだわりを起点に組み立てられているように見える。こ…

戸籍がある島国のディスタンクシオン

京都市内だが洛外に生まれ育った井上章一は、京都洛中の人は洛外を差別して平気で嫌味を言う、という話を「京都ぎらい」で書いて話題になったが、へたくそなオーケストラしかない街の評論家が何を言うか、という山田治生の切り返しは、こうした京都人の嫌味…

無駄に上手い

東京のオーケストラは無駄に上手いとおもわれている。昔からそうだ。この上手さは無駄じゃないというお墨付きを得ようと海外遠征したら、やっぱり無駄なものは無駄だと言われた、ということだから、話は正確に、ただし凡庸な水準で噛み合っている。特段注目…

地方都市での巡業公演が批評対象になる国とならない国はどちらが「文化的」なのでしょうか?

東京のオーケストラの巡業ツアーの訪問地のひとつに過ぎない都市に音楽記者なり音楽評論家なりがいて、その見解を発表する媒体がある、というのは、それだけで立派なことだと思いますけどね。来日巡業ツアーで全国の複数の都市で公演があった場合、そのうち…

ガラパゴス

国際派音楽ライターは、桐朋流の英才教育がスズキ・メソードの延長で、日本のオーケストラの日本人が「上手い」と賞賛するお行儀の良いスタイルも同様であると見られていることも知らずに「国際派」を自任しているのだろうか?我が子可愛さに目が曇るステー…

写本・証文・アーカイヴ

いわゆる複製品はアーカイヴしない、という原則を立てる機関が結構ある。俗流複製論で、万物はすべからく何かのコピーである、とか言っても、著作権の取り扱いが商業的な利害と絡んでいる場ではほとんど無力な放言、好意的に受け止めたとしても素朴で実現可…

21世紀を迎えるための思想史と概念史

社会主義運動は20世紀のニューメディアに期待するところが大きかったと思われ、そのせいでニューメディアをめぐる議論には、しばしば(イデオロギーとは相対的に自律して)社会主義運動由来の概念や思考法が入っているように思う。でも、その概念や思考法は…

様式の統一

機関誌編集委員会様は音楽学会全国大会の要旨をやたら厳格な書式で送れ、と言ってくるわけだが、これは本当に先方の作業効率アップにつながっているのだろうか?Word の特定の書式・機能に依存して神経質にこういうものをチューンアップすると、融通が効かな…