柄谷行人「探究」が当時どう人を惹きつけたのか、小谷野敦がうまく書いている。
- 作者: 小谷野敦
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2016/11/16
- メディア: 単行本
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院生仲間と飲みにいって、酔った勢いで「柄谷行人のように白い表紙にタイトルと著者名だけの本をだすのが夢だ」と言ったら、「そんな装丁はありふれている」と素っ気なくいわれて、なんだそうなのか、と落胆したが、その同僚が博士論文に『近代日本文学の起源』を引用したので、再び驚かされた。文脈にそぐわない唐突な引用で解釈が変だったから、即座にメールで酷評してしまった。大学院には嫌な思い出が多い。
1990年代なかば、小谷野敦は、その頃まだ阪大の英語教師だったのではないか。阪神淡路大震災の直後に柄谷が群像の連載でカントと地震の話を書き継いだのはシビれた。いまでもカントは最高にかっこいいと思ってしまう。ミーハーである。
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演奏会プログラムの曲目解説は、音楽のあらすじをまとめる練習になり、musical writing に最適だと私は思う。字数制限が厳しい売りものの文章で楽曲分析レポートのような書き方をして、譜例を掲載することまで要求するのは、世間知らずで文章がへたくそな音楽学者の悪弊である。片山杜秀、岡田暁生、伊東信宏は、もうめったに書かないけれど、三人とも解説が上手だった。ずば抜けていた。なかでも岡田暁生は、読者と音楽のあいだに割ってはいって、音楽の聴き方を畳みかける言葉で支配してしまう感覚が新鮮だった。そういう話し方をする人だった。一発勝負のコンサート会場では、ああいう言葉が効くのです。
小谷野敦は、吉川英次のような音読向きのテクストの点が辛い。文芸は黙読文化の牙城であり、文章読本は、それ自体が自室で黙読される読み物なのだから、しかたがないとは思うけれど。
追記
新聞の700字800字の批評を書き始めた頃は、毎回、簡潔な表現を探して、言葉を削る七転八倒の日々だったのを思い出す。のちに『音楽の友』に何度か寄稿したが、音楽雑誌の編集部は文を整える書き手の苦心に鈍感で、納期に間に合わせて次号を出すことしか考えられない職場であるらしいとわかって愛想が尽きた。新聞は、スケジュールが月刊誌より厳しいが、音楽雑誌の編集者とは比べものにならないほど言葉に敏感だと思う。新聞記者は、概して雑誌の編集者より高学歴だ。デフレの長期化で、格差は拡大したかもしれない。この先がどうなるか、わからないが。