昭和40年代の大阪労音機関誌「新音楽」(のちに大阪労音自体が新音楽協会という名称になる)で、オーケストラによるポップスコンサートが労音に定着する経緯が見えてきた。
1965年10月B例会が「名曲によるポピュラーコンサート 第一回スラブ音楽」(森正指揮・京響)、翌年の1966年6月CM例会が「名曲ポピュラーコンサート第2回」(外山雄三指揮・大阪フィル)、さらに1年後の1967年6月CM例会が「われらの時代の愛と怒りのうた ゴールデン・ポップス」(外山指揮・京響、真木利一ピアノカルテット)。こういう試みが、その後、8月の大阪フィル・サマーポップスコンサートになっていくようだ。
ポップスという名称でどういうレパートリーを演奏しているか、会員さんの反応がどうであったか、というような「「つながり」の戦後文化誌」風の事案だけでなく、
- 作者: 長崎励朗
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
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外山雄三が主役になる前に京響前任の森正が先鞭をつけていること(初回の構成は音楽評論家の柴田仁)、オーケストラが京響・大阪フィル(のちに1回だけ東京フィル)というように入れ替わること、時期が8月に定着するのは少し後になること、など、ディテールも興味深い。
おそらく、だが、ポップスコンサートが8月に定着したのは、空調設備が整ったり、核家族の「夏休み」という風習が整ってきたり、というような、都市での夏の過ごし方の変化が背景にあるんじゃないかという気がする。
(ちなみに、真木利一は昭和30年頃は新進クラシックピアニストで、朝比奈隆の1956年8月のベルリンからの凱旋公演にも出演している。こういうところで再びお名前を拝見することになるとは。)