シクロフスキーの「手段としての芸術」は『散文の理論』の巻頭に収録されて、「非日常化」の訳語が用いられている。これは底本も日本語訳も、書かれている論旨もすっきりわかりやすい。
(シクロフスキーはトルストイの小説などを引用して異化を説明しており、知ったかぶりで概念を弄ぶ人々がやりがちな風に、異化をシュールレアリズムと混同する余地はなさそうだ。「それよりお前の頭の後ろにカモノハシの鼻クソついてるで」と話を逸らすのは、何らかの膝カックンではあるかもしらんが、異化ではない。シュールなのかどうかも定かではないね。)
一方、ブレヒトの Verfremdungseffekt の語の初出は、どこまでいってもゴチャゴチャしている。
1935年にモスクワで京劇を観て、これを論じた Bemerkungen über die chinesische Schauspielkunst というテクストが存在するかのような書き方を見かける一方、
Bertolt Brecht, "Verfremdungseffekte in der Chinesische Schauspielkunst," in Brecht, Werke 22.1 (Schrifte 2), Frankfurt am Main/Berlin: 1994, 200-208.
というのが刊行されているようだ。たぶんこれが一番信頼のおける版なのだろうと思う。
でも、どうやらこの文章の初出は英語で、
Eric Walter White (tr.), "The Fourth Wall of China: An Essay on the Effect of Disillusion in the Chinese Theatre," Life and Letters Today 15:6 (London), 1936.
ということになるようだ。亡命中なので、ドイツ語のテクストをすぐに発表して、という風にはなっていない気配がある。
さらに加えて、米国では、
John Willett (ed. and trans.), Brecht on Theatre, New York: Hill and Wang, 1964.
という書物に Alienation Effects in Chinese Acting のタイトルで収録されたのが広まっているらしい。
まだ確認していないけれど、日本の千田是也はどういうテクストをどういう風に訳して日本にブレヒトを紹介したのだろう?